アルバイト経験中
私は、今まで、色々なアルバイトをしてきた。
高校1年生で初めてのアルバイト。道路沿いにあるファミリー向けの焼肉屋だった。
タウンワークなどのアルバイト募集情報を見るのではなく、自宅から程よい距離にある焼肉屋へ直接電話。つまり、凸。アルバイトの募集はしていますか?と問い合わせた。今思えば、初バイトにしては、無駄に攻めた手法。
というのも、同じ高校の人があそこで働いているらしい、と。誰からともなく聞いたからだ。その人が誰かの知り合いとか、そういう訳では全くなかった。だが、当時の私からすれば、同じ高校なのだから私もきっと働けるんだ、と。謎の確信があった。
結果、人員不足だったわけではないが、まあ雇っても良いかな〜ぐらいの感じだったらしく、無事雇われた。
そこから高校を卒業するまで、働き続けた。私はその3年間で、社会を学んだ。
・何時でも挨拶はおはようございます
・愛想のないアルバイト(私)は女店長に露骨に嫌われる
・大学生バイトは優しい
・ビールの泡を捨てたら原価が無駄になると怒られる
・セコムの設定を適当に解除したらセコムから確認の電話が来る
・付き合い残業
当時、私は部活動に励み。土日も試合があった。飲食業なので、土日に休む時は店長や社員にかなり嫌そうな顔をされた。部活動も楽しむ普遍的で健全な高校生。土日に休むだけで、自分よりも遥かに年上の人たちから、悪者のような扱いをされた。
今思えば何も悪くない。のに、罪悪感に駆られていた健気で無知な自分を思い出す。
そもそも、高校生の土日を全て奪おうとする大人達ってどうなんだ。思い返すと、腹が立ってきた。やめよう。最後に、余談ではあるが、その分、年末年始なんかは、たくさん働いた。お正月だけ店内で流れるお琴のBGMを聴きながら、たくさん働いた。
焼肉屋の次は、ラーメン屋。初日から懸命に大声を出して元気なバイトを装っていたが、翌日には声が枯れた。見かねた店長に「君は大きい声じゃなくてええからね」と言われた。
副店長とパートリーダーの人が付き合っていた。バイトリーダーじゃなくて、パートリーダー。
ラーメンを作る際に出た豚骨で、パートリーダーがまかないカレーをよく作っていた。豚骨が苦手な私はそのカレーがあまり得意ではなかった。従業員間でも、あ〜いつものやつね〜的な雰囲気が出るカレーだった。
しかし、副店長は彼女が作ったカレーだから。カレーをすぐ減らしたくて、バイト達に積極的に食べさせていた。
ラーメン屋の次は、レンタルビデオショップ。大手ではなく、小さな会社の。これは楽しかった。好きなビデオを2本までは無料で借りられたし、営業中も適当なビデオを店内で流すことが出来た。レンタル作業も簡単で単純で、楽しかった。
田舎だったから、アダルトコーナーはかなり充実。初めてアダルトコーナーに入った時は、ジャケット写真の迫力に圧倒されて、トイレで吐いた。
自宅から徒歩3分程度だっため、深夜も働いたし、年越しをレジ打ちしながら迎えたこともある。
一度、バイト中に地震が起き、ビデオラックが揺れて怖い思いをしたこともある。
レンタルビデオショップの次は、新規オープンのパン屋。パンの値段を覚えることに苦労する。
毎日大量の売れ残りがあり、最初のうちは店長がご近所さんによく配っていた。
その中に宗教団体の支部もあった。店長は無宗教であったが、興味本位でそこにも配りに行っていた。特に楽しそうだった。
あまりにも売れ残りが多かったので、タイムセールをすれば良いとバイト達は店長に提案したが、店長の(恐らく)プライドはそれを許さなかった。
タイムセールをやると、お客さんがその時間帯にしか来なくなってしまうと危惧していたらしい。廃棄で捨てるよりかは断然その方が良さそうに思えたが。駅から遠いわりに、単価が高かったな。
売れ残りをバイトは自由に持ち帰れたので、営業時間中も、今日はどれを持って帰ろうか。目星を付けながら働くのは少し楽しかった。
そして、結果、業績不振により、学生バイトは全員クビとなる。数年後、お店も閉店していた。
その次は、お土産屋。この時はフリーターで、バイト無双モード突入。
たまに単発バイトもやった。プロレスの試合でグッズ売り。お歳暮でゼリーの箱詰め。
掛け持ちで、一瞬だけテレアポもやった。友人の紹介であったこと、楽そうで高時給であったこと。好条件なはずが、テレアポは自分に向いてなさすぎた。
喋り声が途絶えないオフィス、電話のコール音、慣れないヘッドセット、何を言ってるのか分からない方言がやばい客。動悸と冷や汗がすごくて、初日で辞めた。
紹介してくれた友人に謝った。もう、友人の紹介で働くのは辞めようと誓った。
リベンジ掛け持ちで、貸し会議室の運営もやった。これは長く続いた。臨機応変の対応力を学んだ。
その次は、駅構内にあるバラエティショップと、好きなアイドルの公式グッズショップの掛け持ち。
後者、楽しすぎた。今までやったアルバイトで1番楽しかった。文化祭準備のような日々。
自分が好きだったアイドルに関わる仕事で満足した私は、バイト生活に終わりを告げたくなり、正社員を目指す。
転職活動中に、無職は怖いので、繋ぎとしてバーで働いた。昼夜逆転で肌があり得ないほど荒れた。夜に働いている人達、すごいよ。
で、まずは、地元にある工場の事務に採用された。事務は私含む3人で構成されていたのだが、そのうち1人が普通にデスクでタバコを吸う人で。タバコに抱く嫌悪感がやばい私は、試用期間を終える前に退職した。
ちなみに、日付が変わる前まで残業をしまくっていた先輩の勤怠履歴も、私の退職を後押しした。
その次は、職種を変えてみようと思い、ケーキ屋。社員登用があるお店に絞り、まずはアルバイトとして入社。思えば、小さい頃、将来の夢がケーキ屋さんだった私としては、一応夢は叶えたことになるだろう。
バースデーケーキのプレートにメッセージを書く瞬間が、とても楽しかった。
職場の近くに有名なチェーンのパン屋があった。営業後に、廃棄のパンをお裾分けに来てくれることが多々あり。ノスタルジーを感じたりした。
日に日に、目の下のクマさんが濃くなる店長を目の当たりにし、サービス業の社員はだいぶ根気がいることを痛感。自分には不可能であるため、しばらくして辞めた。
その次は、飲食店を経営する会社の事務。こちらは使用期間中がアルバイト扱いで、後に入社正社員登用されるパターン。繁華街にあり、通勤するのが楽しかった。
ここも事務は私含む3人だった。働き始めて知ったが、1番上のボズがスピだった。
よく分からん会員制のオイルを紹介されたり、悪い気を払いバランスを整えるトライアングル的なものを鳴らされたりした。
私は焼肉屋のバイト時代から、40代独身の女上司に嫌われ続けている。ボスもそうだった。
・〇〇さんって何でそんなに目が離れているの?
・マルチーズに似てるよね
・猫背やめて
・タイピングうるさい
・あなたはピラミッドの1番下
ボスに言われて覚えているセリフ達です。覚えていても全く意味はありません。
この仕事向いてないから辞めれば?と言われて、辞めた。
その次は、不動産の営業事務。2年弱は働いたが、社長のあらゆるハラスメントに限界を迎えたり、ここでもう学びたいことは無くなったので、辞めた。
ここで働いたことをキッカケに1つ資格を取得。それは良かった。
その次は、病院の受付兼医療事務。想像以上に我が強めの患者さん達。毎日これが続くのは無理だと判断し、初日で辞めた。
その次は、薬局などを経営する会社の事務。1ヶ月ほど働いた。びっくりするぐらい、つまらなくて、辞めた。
その次は、今の会社。とても良い会社に出会えた。なんだかんだ、3年目に突入。
えぐいことが起きない限り、ここでずっと働こうと思っている。そんな会社に入れて、本当に良かった。
このように、私は、決断を下すのが早め。良いと思ったら長く働くし、無理だと思ったらすぐに引く。直感、たぶん、大事。向き不向きには、素直に従う。
様々な経験や思いをしたが、そのおかげで、今の会社に辿り着くことが出来た。タイミングもあるし、どの経験も全て無駄ではなかった。これは、事実。
自分の場合は、給与などの待遇面より、少しでも興味や関心のある分野に関わる仕事が長続きする。好ましい。何より、苦じゃない。
嫌なことも、そりゃあ、あるが、これまでと比べたら。全然耐えられる。嫌なことがない仕事なんて、まず存在しないし。
これからも、ほどよく頑張って、働きたい。好きなことに携われることの奇跡を身に染みているから。
そういえば、レンタルビデオショップも業績不振でお店が閉店するため、辞める運びとなった。あの時期の私は貧ちゃんだったのだろうか。
このように脳内を整理するのも、たまには良いかも。あんなことやこんなこと。どんどん思い出す。
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