自分探し?そんなことよりnote読もうぜ!
本日は、探究さん(Pはかせ)佐藤健友「好き」でつながる探究横丁さまの記事を読ませていただきました。
僕が記事に共感したところ
共感ポイント①.他人の考えに触れられるところ
人間の頭からは、日々情報が生み出されています。
それらはアウトプットしなければ、泡沫のように消えてゆくものです。
しかし、アウトプットして公開する場所があれば、残すことができます。
それができるプラットフォームがnoteという場所。
書籍化された本には、作者が自らの人生で得た知見が詰まっていると言われます。
noteの記事は、それと近いものがあります。
たいていの人は本よりも短い文章で、自らの思考を記事にしています。
さらに、他人に読んでもらうことを想定して、無駄な文章や冗長さが排除されています。
すると記事はどうなるか?
必然的に、エッセンス(本質的要素や真髄)が詰まったものになります。
noteの記事というのは、「他人の考えからエッセンスを抽出したもの」だと僕は思います。
そういった情報は、人によっては刺さるものが多い。
だから、よく書かれた記事は他人の共感を得ることができる、ということなんですね。
共感ポイント②.井の中の蛙であることを知れる
これはいつも思ってますね…
自分的には傑作だ、と思えた記事を書いても、日常的にそれ以上の記事を書いている人がごろごろいます。
そして、そういった記事に出会う機会が増えます。
noteで読む・書くをやっていると、気づくのです。
「私は未熟者だ」という事実に。
それに気づいたとき、人はどうするか?
ナニクソ、と耐えるか。
モウダメダ、とうなだれるか。
さて、私はどちらの人間でしょうか。
こうして文章を書いているからには、前者(耐える側)なのかもしれません。
けれど、頑張って耐えている自覚はありません。
おそらくは、耐える・うなだれるのどちらでもないです。
「あの人はすごい記事を書いているけど、自分はこういう書き方でいいや」と開き直っているような、他人を気にしないタイプです。
共感ポイント③.新しい知見を得られる
新しい学びを得る機会は、今日では手を伸ばせばいろいろあります。
新聞・書籍しかり、SNSしかり、テレビしかり。
…まあ、最後のは個人的に微妙ですが。
ただ、時間をとられるんですね、こういったメディアは。
たまに、クソみたいな情報によって思考に穢れを植え付けられることさえあります。
本を一冊読むにしても、たった5分で読み終えられるようなものは無い、と言っていいでしょう。
noteの記事には、上述したようにエッセンスが詰まっています。
それらを次から次へと読んでいくわけですから、新しい気づきに出会う確率が増えます。
自分がなにを望んでいるのかわからないときは、だいたい思考が千々に乱れています。
そんなときこそ、他人の考えに触れましょう。
直接会話するのもいいですが、noteで多くの刺激をもらうのもアリだと思いますよ。
そういった理由でも、noteは利用する価値が高いと考えます。
終わりに
長々と1500文字以上も書いてきましたが、言いたいことは、
「noteをやってたら昨日の自分より成長できるかもよ?」
という事実に気づけた、ということです。
最後に。
探究さん(Pはかせ)佐藤健友「好き」でつながる探究横丁さま、ありがとうございました。
おかげさまで、こうやって記事を書けて、自分の考えていることを整理することができました。
今後も応援してゆきます。