『祝福は苦悩の仮面をかぶって訪れる』吉光じゃなくてJ・S・ミル(KICOの書き殴りメモ シリーズより)
以前、西洋哲学をザッと体系で掴みたいと思い立ちインターネットで調べていたとき、ある言葉が目に留まりました。
『周囲から浮き上がるのを恐れずに、とっぴな行動ができる人間がいないこと。それが今の時代の最大の危機だ。』
1800年代の言葉です。
1800年代から変わってない危機、きっともっと前から同じなんだろう〜笑。
空気読まないで好きなように生きる人間、絶滅危惧種説を支持。
さて、この言葉を遺してくれていたのが
J・S・ミル
肖像画ではいかにも気難しそうな顔面をしたイギリスの哲学者(1806-1873)です。
ごめんなさい。
格ゲーでは鉄拳が一番好きだったから、親近感が、ついっ。
ー
わたしはそこからミルの思想や他の言葉を掘って、シンパシーのあるものをスマホにコピペりメモっておいたのでした。
それを今、再び読み上げて思うこと、、、
〝お願いミル爺、Podcastのゲストに来てくんない?!!!!!〟(故人・特に哲学者召喚したい嗜癖)
人間の運命の大きな改善は、考え方を根本的に変えない限り、絶対に不可能である。
このところ、認知する際の〝とらわれ〟について書いていたからタイムリーなところありますね。
とらわれ一つで人生の方向や結末、変わり得るでしょう。あらゆる要素が複雑に絡まっての未来ですから、そもそも正確に予測することなんて不可能ですけども、ある程度分かりきったリスクや不幸を回避しない場合はどうなるかというと、想像に容易い。
慣習であるからといってこれをなすという人は、何らの選択をも行わない人である。
ちょっとーーーー!ミル爺ーーーー!!!!
マジに四文屋集合ーーーー(出来れば国分寺店にして)!!!!※四文屋→たまに寄る赤提灯酒場
でもやっぱり慣れたことが好きで、考えないことが楽で、とにかく省エネして食って寝て働いて、知らない不安より知ってる不幸を選ぶのが〝人間らしさ〟なのだな、元来。いよいよ腑に落ちます。
祝福は苦悩の仮面をかぶって訪れる
対話サービスのクライアントさんに映画と本のリコメンドをする際、例え話をしながら使った気がしますね。 ※そう、希望の方には役に立ちそうな創作物や実用書などおススメもしています♡
だって毎日が祝福だったらどうですか、飽きるでしょう〜。或いはボケるでしょう〜平和ボケ!
以前、広尾のタワマンで不動産を無数に持って回してる社長と仕事しましたけど、良いもの買うとか食べるとか飽きたらしいですから。お金のことばっかり考えてる、あなたが羨ましい言うてましたから(辞めたらいいのにね笑)そんなもんです。
苦悩があるから祝福が喜びの宴と化すわけですからね、祝福は四文屋でねっ笑。あれ、でもそう考えたら、あのタワマンオーナーも敢えての苦悩中だったのかもしれない、、、祝福のための苦悩プレイ、、、笑。
自分はいま幸福かと自分の胸に問うてみれば、とたんに幸福ではなくなってしまう。 / 幸福になる唯一の道は、幸福ではなく何かそれ以外のものを人生の目的に選ぶことである。
わたし10-20代の頃、必死で幸せになりたかった。
幸せに〝なる〟。
つまり幸せな状態って何かの形を得たり、それがキープされたものだと思っていたんですよ、本当に!素で信じてた!純粋!すごいアホだわ笑笑!
幸せの青い鳥も母も追い求めて三千里走ったら疲れ切ったマルコ〜(ややこしやMIX〜)
でもね実際の幸せって〝え?詐欺かな〟くらいほんの一瞬感じられるような〝究極の今ここフィーリング〟じゃないですか?
もしもそのハイな状態のピークが数時間継続しているなら、、、ドラッグかなんかやってるよ笑。
以下、わたしの解釈。
・いつも幸せか否かを考えている、そのこと自体がすでに幸せからは離れてそう。
・特別な一瞬の幸福はすてき。恋愛なんて特にそれを濃密に味わえる醍醐味!でも、幸福って不幸じゃないってことでしょう?不幸さえ気付いて対処していたら、最低限の幸福は得られているとも言える?
・幸福になりたい!幸福でありたい!と幸福を目的化したら本末転倒。幻を追うことになる。90-00年代のわたしから学んでください笑!
最後にまったく関係ないけどしょ〜もないカ〜イイもの見てください♡
以上でーーーす( ◠‿◠ )
今日はまだまだ口の中が血の雨降ってる(歯科矯正による抜歯2本/最長1週間くらい血の雨降るらしい笑)。
安静にして早よ寝るために毎週恒例のミーティングもパスさせてもらいました。
おやすみなさい、一日おつかれさまでした♡
Kico.
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