不安が消えたはなし
ここ数年で自分の性格が変わった。
呆れるほどの八方美人に傾いていたのに
そのとき大事にしたいことを大事にできる自分に変わってきた。
周りに気を使わなくなったというよりは
それを第一優先にはしなくなった感じだと思う。
だから人といればそれなりに気は使う。
でも自分を偽ってまで、自分を疲れさせてまではしない。
優先順位がわかってきたのだと思う。
最近自分の進歩が目覚ましい。
自分を褒めることも上手になった。
そして、今の自分が好きだ。
大きなきっかけをくれたのが一冊の本だった。
「あなたの牛を追いなさい」
という不思議なタイトルに惹かれ手に取った。
自分のコアを大切にするために必要なことが書かれていた。
誰しもに「一点の曇もない美しい心」が備わっているという。
しかし、それらは意識しなければ、見栄や執着や不安によって見えなくなってしまうのだそう。
そこで掃除の大切さが語られる。
仏教で、掃除を大切にしている理由が腑に落ちて俄然やる気が出た。
本当に大切なことは、気がつくと余分な者たちに囲まれ見えなくなってしまう。それは場所も心も同じだという。心を磨くつもりで床を磨きなさい、と書いてあった。
汚れを落とし続けることで、本当に大切なことを大切にできる自分になりたいと思った。
特に不安が大きくなりやすいこんな不安定な世の中でこそ、減らす勇気を持つことの必要性も書かれていた。
だから、身の回りの物を減らして、毎日少しの範囲でもいいから、心を込めて掃除をしてみることにしたのだ。
すると、数日続けただけなのに、色々とすごいことになってきたのだ。
今まで、大事なことをするために時短できるのもは時短!!と思って、
部屋もとりあえずきれいに見えればいいし、家事は雑でもちゃんと終わればいいって思ってた。
でも、丁寧に心を込めて、自分の心を磨くようなつもりで家事をしてみたら、
自分がそもそも大事にしたかったことって、こういうことだと気がついた。自分が生きる理由にたどり着いた気もした。
仕事のために生きてるわけでもなく、効率のよい毎日のために生きてるわけでもない。
自分の心が満たされて、そのエネルギーで人とつながること。私がしたいのってそれだけかもしれないと思った。
そのために仕事も大事。家族も大事。でも、それらに自分のエネルギーをつぎ込んで、自分をケアするエネルギーが残ってないのは本末転倒なんじゃないかという気がしてきた。
まず自分の心を満たして、そのエネルギーで仕事をして家族を大事にできたらどんなにいいか。
そんなの無理って思って決めつけてたけど
それが私が人生をかけて経験したいことなのだとはっきりした今、
どんな状況でも言い訳しないで、それに優先順位をおく努力をしてみようと思った。
人生は死ぬ間際まで修行。
それぞれが本当に求める状態に向かう修行。
お寺に行かなくても、滝に打たれなくても、所作の一つひとつが修行になるのだと実感できた。
それらを完璧にやるのは簡単なことではないけど、できることから少しずつなら私にもできる。
焦らず自分のペースで整えればいい。何より気に入ったポイントは、場を整えている時間が心を整える時間にもなっていて、特別なことをしてないのに、自分の内面の変化を感じられること。
自分を前よりまた好きになれた。
自分にとって大事なことが見えると、不安がきえる。
そんな不思議な話を誰かにシェアしてみたかった。
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