7月に2度観た『君たちはどう生きるか』、3度目は宮崎映画を見直してからだと思い現在
7/14公開で7/17に鑑賞、1週間後に2度目の鑑賞
封切り第一週目7/17に1回目、そしてすぐ1週間後に2回目を観に行った。
エンドロールに涙する
とりあえず詳細はネタバレになるので後にする。
エンドロールについてはネタバレもクソもないが、どういうエンドロールかも観てない人で必要以上知りたくない人には余分な情報を入れるのも良くないので、詳細は後にする。が、泣けてくるんだよ。。。
3度目は、宮崎駿映画を改めて見直しからだと思う
7月に2回観てから、これはもう一度宮崎駿映画を改めて見直してからだと思った。
『ルパン三世 カリオストロの城』だけは何度も観ている
私を構成する9本の一つでもある、カリオストロは何度も観ている。
4K UHD BDも持っている。だからいい。
(改めて観るとクラリスがルパンのこと「おじさま」と呼んでいるのが引っかかる(笑) 若い頃は気にならなかったのに)
重要なのは、ナウシカ以降である。
ナウシカ以降の特に”初期”宮崎駿映画の観直し
セルフオマージュの話もあり、、もう一度ジブリというか宮崎駿映画を観直さなければと思ったのである。
おそらくほぼ観ているが、最初の一回以外はちゃんと観ておらず(テレビ放映とかでながら見で見てはいるが集中して観てない。)、その最初の一回を観てからもう何十年も経っているのでちゃんと見直さなければならんと思ったのだが、、、
、、、
どこも配信していない!
配信してない→ディスク??
フィジカルが売れないと言われる今の時代にディスク???
今更ディスク??
今更ディスクをレンタルするの??
その上、4K UHD BDでなく、BD(Blu-rayディスク)かDVD??・・・
まずこれについては完全にクソである。
もしかしてディスカス???
あとになって調べたが、、、一応海外版Netflixを見る方法もあるようだ。(日本からだとVPN経由だが、それは規約的法的OKか知らんので、詳細は自己責任で調べて実行してください。※追記:別のサイトでグレーゾーンとある。)
懐かしのTSUTAYA DISCAS
そうあれはまだガラケー時代、私はディスカスを一時愛用していた。
数年前にFilmarksで過去の視聴履歴をマークするとき、ログが残っている最古でもあった。(他はデータとして残っていない。)
一時有料契約していたNapsterと並んでサブスクの原型でもある。
ネトフリが元々このようなモデルを始めたのだ。
だがなぜネットフリックスは世界的Netflixになったのに、TSUTAYAはなれなかったのか?ガラケーでも配信していたのにだ。
それは、
「なぜNapsterが失敗して、Spotifyは成功できたのか?」
とは違い、
単にこの国日本だからだ。
それも失われた日本だからだ。
話は単純だ。
話は逸れた。
十何年ぶりのTSUTAYA DISCAS
ディスカス無料登録した
↓
全然ジブリ在庫なくて借りれないじゃないか!!
(むむっ、同じ考えのやつが、日本中にたくさんいるな。。)
↓
待ちながら、、他の宅配レンタルも探す。。。
ゲオ宅配レンタル
→GEO?
ゲオ宅配レンタルとやらがある。
これまた、ポイ活にアフィを踏みながら、初月無料で入ってみる。
やっぱ在庫ないではないかー!!!
とりあえずナウシカをスポットで借りた!
ディスカス+ゲオで1ヶ月程である程度のタイトルを観る
ナウシカ、トトロ、魔女宅、千と千尋、ハウル、ポニョ、アリエッティ(監督ではないが観たことなかったから)、風立ちぬを観た。
ラピュタともののけが一向に借りれん!あと豚。(もののけ姫はちょうどちょっと前に日テレでやってたがちゃんと観なかった。。。ってか、録画でもしときゃ良かった。。)
ナウシカと千と千尋
観た中で、やはりナウシカと千と千尋は素晴らしく久々に思った。
だがナウシカのBGMが・・・
ナウシカを初めて観たのは、小学生の頃に体育館にフィルムの映写機が回ってきたような記憶がある。
だが今観ると、ナウシカは子ども向けではないな。
その後、一貫して子供向けアニメを作ってきたと宮崎監督は言っていたが、トトロと魔女宅は子供向けすぎて大人になってからはちょっと微妙とも感じた。。
トトロかわいいけど、映画としては、、、。(魔女宅についてはちょっと後述。)ポニョ以降は個人的には話にちょっとならん。
あとはやっぱり、ラピュタともののけ姫がまた観たい。
子供が主人公の日本アニメ
日本のアニメ・漫画は、多くが子供が主人公である。
そしてジブリ作品、宮崎駿作品は全部そう。
そして特に女の子である。
宮崎駿映画はほとんど女の子が主人公
女の子が主人公である場合が多い宮崎駿映画である。
これが西洋文化との違いであり、日本的である。
(アメコミとか見てみ。大体大人だ。ポパイとか古いアニメや漫画もそうだ。手塚治虫以前の海外のアニメ・漫画の多くもそうである。)向こうアニメや漫画は元々子供向けであり、それでいてコミック系のキャラクターは大人主体である。
動物とかあるけど。
子供は未熟な存在、大人が完全体とする西洋に対し、子供は純粋なものとする日本の違いか
欧米は元々、完全に大人が上、親が上で子供が下という明確な上下関係がある。アダムとイブで男女に明確な区別があるという思想と同じであろう。
江戸やそれ以前に日本にきた西洋人が、こんなに子供を大切にする国は見たことないと言ったとか言わないとか。
幕末〜明治の近代化という名の欧米化と、米国による植民地化同然の敗戦後にすっかりその日本らしさは殆どなくなってしまった。が。
現代日本は、日本文化の悪い所と欧米文化の悪い所の悪い所どりだ
アニメ以外の映画にもその差が色濃く出ている
ハリウッド映画など、だいたい結局「悪」を作り、そこと戦う(=戦争)ことで相手を負かし、我々が正義だ!というお話である。全てを力で制してきた国である。
そして、現代では、女性も男性同様に物理的な力で戦い、相手を負かすというお話である。(スターウォーズなんかが典型。)
そりゃ、エマワトソンも、フェミニズムとはえらく嫌われた言葉になってしまったと言う訳である。
余談だが、英語の勉強の一環として、ジョブズのスピーチ完コピ後の次として、キング牧師、その次がエマワトソンと思って、ずっとインプットはし続けているが、未だアウトプットはできていない。。
父権的マッチョイズムな往年のハリウッド映画
インディアンと呼んでいた先住民をバンバン撃って喜んでいた時代のハリウッド映画はもちろん、力で制し、力が全てな米国の文化の象徴であるハリウッド映画はそれがわかりやすく表現されている。アニメ映画以上にそれがわかりやすい。
最近で言えば、2022年アカデミー賞にノミネートしたネトフリ配信の映画『パワー・オブ・ザ・ドッグ』なんか特にマッチョイズムの国である米国のその時代を描いた映画である。力で全てを制してきた米国の、”男たるもの”な感じである。
戦争を繰り返してきた欧州と自然災害が多い日本の決定的な文化の違い
仕方ない。
ヨーロッパは、常に「いつ隣の国、隣の民族が攻めてきて、虐殺されたり蹂躙されたりするかわからない」そんな歴史を繰り返してきたのである。
大陸の文化は往往にしてそういう部分があろうが、特にヨーロッパは国が細かく分かれていた上に、常に国境が変わってきた。さらに、相手を殲滅させる文化なので、声を上げないといつ蹂躙されるかわからないのである。だから明確に"No"という意思表示が必要だし、戦う相手はだいたい人間なのである。(映画だと擬人化された相手である。宇宙人とか。)
それに引き換え、日本は地震に津波に台風、火山と、小さい島国の中に圧倒的に大きな自然災害が目白押しである。人間同士が歪みあっている場合ではないのである。(少なくとも表向きは。)
だから宮崎駿映画には、そんな単純二元論な敵を力でぶっ倒して勝つみたいなものは殆どないのである。だから必然的に主人公は女の子のがいいのである。
男はいかん。すぐ戦おうとするからな。(現代の日本人はそんなことないけど。)(←これも一種のジェンダーバイアスとも言えるが、だが喧嘩決闘の延長線上である戦争なんてのは究極的に言えばオス同士の殺し合いによるメスの奪い合いとも言えるわけであろう。)
だが戦って勝つ勧善懲悪は単純でわかりやすく面白く作りやすいのだ。
この国でも、未だバカの一つ覚えのように忠臣蔵を年末にやっているではないか。←バカと言ったら自分がバカだ(これは"バカ"という言葉を使ったら必ず言うようにしている)
気になる研究
非常に興味深い資料
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『アメリカにおける宮崎駿の受容
-日本文化と歴史の新しい表象-』
芳賀 理彦
千葉大学比較文化研究
魔女宅のユーミンという魔法
話はだいぶ変わって、、、
(急にポップに変わる)
魔女宅で思い出す。
そう、魔女宅といえばユーミンである。
魔女宅見出したとと同時に、ユーミンを感じる
んだが、、、
「ルージュの伝言」を聞くとまさに魔女宅!と思いながらも、、。
よく考えると恐ろしく怖い歌詞だな、、、
ってか21歳でこの歌詞って度胸据わってるなユーミン。と思いながらも、、。
もう一つのユーミン「やさしさに包まれたなら」も聞きながらも、、。
同時に『すずめの戸締り』を思い出す
「ルージュの伝言」を聞くとまさに魔女宅!
と思いながらも、、、、
『すずめの戸締り』を思い出すのである!
観ている人にはわかるであろう
そして、その『すずめの戸締り』を観ていたとき、、
映画『花束みたいな恋をした』で、「ポスト宮崎駿監督として新海誠監督が急に・・・』的なセリフがあったのを思い出したわけである。
それはただ単に売れただけでなく、、
日本の神 = 八百万の神 = 自然
への造詣の深さ、畏怖の念、とともに美しさと恐ろしさを両立した描写であったが、まさにそれこそ自然=神が作ったもので人間が支配するものとする西洋的価値観と対極な日本的な価値観そのものである。
その象徴的映画が『もののけ姫』であろうか
『もののけ姫』がその典型であろうが、、、まだ私、観直しできていないので、、コメントは差し控える。。。。
話は逸れた。
元に戻そう
以下ネタバレ覚悟
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もう疲れたので適当だ
主人公=宮崎駿
まあ、主人公は宮崎駿そのものであろう。
これは大概皆そう思うと思う。
お母さんについて
お母さんが、よくわからん。
いつ、あちらの世界のお母さんが、主人公のことを息子と分かったんだ??
それがいつなのか、よくわからん。
そもそも、親子、それも母息子であんな感じとか、正直キモいんですけど。。。と思える感じはなんなん?
まあ、これも自然≒母性だと思うことで、日本的だとも言える。と納得させる。
大叔父(大伯父?)について
大叔父か?大伯父か?に触れた話はあったけ??
大叔父とあるが、大叔父でいいか?まあいい。一旦以下大叔父で統一する。
大叔父=宮崎駿自身?
あの大叔父は、最初あれもまた宮崎駿自身かと思った。
年老いた宮崎駿。それを若い宮崎駿に語りかけるのであるが、実際は今の若い人たちに語りかけているのではないかと。
だがしかし、その後ちょっと考えが変わる。
大叔父=手塚治虫?
だがしかし、2回目観て思ったんだが、あれは手塚治虫大先生ではなかろうか?
と勝手に思う。(主観)
非常に宮崎駿監督がボロクソに厳しく言っていた手塚治虫大先生である。
↑死んだ後に言ったんですよ。正直大人げないですねー
まあ、宮崎駿監督に嫉妬して賞を与えなかった手塚治虫先生のがもっと大人気ないですけどねー
だが、新宝島(新寶島)を中心に子供の頃に衝撃を受けたのも事実。
だとすると、あの空から降ってきた建物は、西洋から来たディズニーなり何かりな向こうの漫画とアニメだろうか?とも思える。(まぁ、手塚治虫大先生以前にも日本に漫画はあったわけだが)
手塚治虫の築いた漫画の文化とともにアニメ。「神扱いしてはいかん!」との通り、アニメの積み木(石だっけ?)を自分的に一から積み直した宮崎駿とも取れる。
『君たちはどう生きるか』=『新寶島』?
そうすれば、あの書籍『君たはどう生きるか』は、『新寶島』と言える
大叔父=ヒゲオヤジ??
そうするとさらに、あの大叔父は、手塚アニメのヒゲオヤジにも見えてくる
ってか、宮崎映画もひげオヤジはたくさん出てくるが
主観的勝手な解釈だが、それでいいのだ
だが、本来著作物とは、本人(たち)の手から離れた瞬間に万人のものであり、受け手の分だけ解釈があり、あっていいはずである。だからこう言った解釈もいいんじゃなかろうか。年老いた宮崎駿監督も、死を意識して人生を振り返り幼少期の頃の自分を思い起こしたと。
主人公が宮崎駿であれば、大叔父は手塚治やそれ以外の偉大な先人たちであり、
そして、時代変わって、
大叔父が宮崎駿となった今は、主人公は子供を中心とした全観客(視聴者)
であろうか
知らんけど←
エンドロール
個人的には、この映画を観終える頃に迎えるエンドロール。
まさにこれである涙
米津の声と共に流れる青い背景に手書き?(それとも手書き風フォント?)の文字
この青さに涙する
もう自分にはない青さに涙するのである。
碧さか、蒼さか、ブルーさか
実際の色は、こんな↓ターコイズブルーのような青か、
もしくは、ジブリカラーのような水色に近い青↓
だったか、その中間くらいの青だったかと記憶しているが、、、
だが、感じる青さは色々で、
その青さは、
この青さかもしれんし、
この青さかもしれんし、
この青さかも知れんし、
この青さかもしれん
見え方感じ方は人それぞれだが、
青の青さが眩しいのだ
青、まさに日本的な色である
北斎ブルー、広重ブルーの浮世絵ブルー、侍ブルーにブルーハーツ←
海に囲まれた日本の色である
青は藍より出でて藍より青し ←中国古典やがな
藍
米津玄師『地球儀』
そして、米津玄師氏の音楽(地球儀)がまた心に沁みる。
普段全く米津とか聴かないのに、帰り道にまた聴きたくなる。
私はすでに昨年舌癌の手術を受けている身であり、
「どう生きるか?」と問われる立場でなく、
「どう死んでいくか?」を考える立場の人間である。
そんな人間にはもうあのエンドロールのような青さはないのである
それがどうしても切ない
この『君たちはどう生きるか』という問いは、子供や10代にこそ訴えたいのであろうが、10代でわかるであろうか?
寧ろ、35歳超えたアラフォー以降くらいでないとわからないのではなかろうか
とはいえ、人生100年と言われる時代である。50歳でもまだ残り半分あるのである。だからそんな世代にでも『どう生きるか?』と問われていることは間違いないのである。
いや、むしろそんな世代こそ重要なのかもしれない。なぜなら、昔であればもう人生後半である。だが、これからまだ半分だとすると、『リスキリング』という言葉が取り沙汰されたりしたが、長生きするのであれば、考え方も確実に歳を取らないで若くいてもらいたいものである。もし人生半分近く残してすでに変化に抗う老害になるのであれば、人類のために潔く死んでいくべきなのであろう。だからこそ、そんな世代にこそ「どう生きるか?」でもあるかもしれない。
ジョブズも「死はOldを消し去ってくれる生命の唯一かつ最高の発明だ」と言っていた。
老子が言うように、柔弱こそ最善であり、堅強=死そのものであるのである。
ジョブズも老子もそれ以外も、『変化に抗う老害になったら早く死んで行け』と直接的な表現はしていないものの、そう言っているようなものである。だからもし今後さらに人類が長生きする場合、その分、より柔軟に、より学び、常に変化し続け、絶え間ず成長し続ける人間であるべきであろう。
年齢を3で割って人生を一日に例える話
これだと、
36歳 ÷ 3 → 12時
48歳 ÷ 3 → 16時
60歳 ÷ 3 → 20時
となり、36歳(=12時)から日が徐々に下がり始め、色温度も下がり始め、空の青さが徐々に褪せていく。そして、(季節にもよるが)48歳前後で夕暮れに近づき青さも赤みを帯び、60歳前には日没で暗くなっていくのである。。
これを考えると、36歳を超えたアラフォー以降は切ないことこの上ない。。
人生100年時代に合わせ4で割った場合
上のは24(H)を3倍すると72(歳)である。
人生100年時代と言われる今の世代は、4で割った方が良いという話がある。
24(H)を4倍すると96(歳)である。
そうすると、、
36歳 ÷ 4 → 9時
48歳 ÷ 4 → 12時
60歳 ÷ 4 → 15時
!!!
印象が全く変わる。
48歳でやっと半分の正午である。
まだまだ空は青い!のである
60歳(=15時)でもまだまだ全然明るいのだ!
36歳(=9時)なんて、まだ始まったばかりである!
この写真↑、秋冬(11月と12月)に撮ったやつだから、ちょっと青が青いな。
そもそも日も違えば、カメラもレンズもフィルターというかフィルムシミュレーションや設定も違うから比較できんのだが。
ちなみに、島の冬の天候はどんよりしがちなのだ
どう生きるか=どう死んでいくか
結局殆どが映画『君たちはどう生きるか』のことではない話になったが、まあ難しい評論や解説等は専門家の人がやってくれているであろうから、いいだろう!笑
私は、もう『どう生きるか』ではなく、『どう死んでいくか』の立場だと言った。
だが、詰まるところその2つは結局同義である。
"感謝する"こと過去現在未来からの体験記憶とやら
心理テスト的と言うか、根源の体験記憶を探る的なやつで、
感謝することについて、過去、現在、未来で考えてみてください。
というのが以前仕事関係であった。
その時自分が書いたのが以下である。
↓
感謝すること
私の感謝すること
過去:この世に生を受けたこと(産んでくれこと)
現在;生きていること
未来:死んでいくこと
※未来は、希望的観測も含めてである。
つまり、
近い将来、
「死んでいくこと」に感謝できるようになるために、
今を
「どう生きるか」
で
ある。
京アニの事件
ちょうど、京アニ事件裁判のニュースがあった。
生きたくても生きられなかった人の為にも、
どう生きるか
※所々敬称略していて、失礼します。