我慢は良くないが必要なもの?
今日の朝の風はひんやりと
秋を思わせる涼しさでした。
お盆を迎えて酷暑は収まるでしょうかね〜
さて、今日は言葉のお話。
「我慢」についてです。
「我慢」という言葉は
忍耐、耐えるという意味だと思っていたのですが
調べてみるとそもそもは仏教用語。
「自己の中心に我があると考え、その我を拠り所として心が驕慢であること。おのれを頼んで心のおごる煩悩」
(中村元「仏教語大辞典」)
だというではありませんか。
広辞苑を調べてみると
①自分をえらく思い、他を軽んずること。
②我意を張り、他に従わないこと。強情。
③耐え忍ぶこと。忍耐
④入れ墨のこと
今はほぼ③の意味ですが
もともと①だったのが②、③と変遷があって変わったとか。
この我慢について教えていただいたのが
侘び茶の祖と言われる珠光の
「心の文」という文章。
弟子に当てた手紙の中で
「此の道第一わろき事ハ心のかまむかしゅうなり
・・・・・・・たたかまむかしゅうかわろき事にて候。
又ハかまんなくてもならぬ道なり」
という一節です。
茶の道で心の我慢、我執を良くないといい
自分を偉いと思い、他を軽んじること
自分に執着することを良くないと言っているのです。
茶道の心得を弟子に伝えているのですが、
奥深いです。
又ハかまんなくてもならぬ道なり。。。
我慢がなくてもならぬといっていて
我慢は悪いけど必要だといっているのです。
まるで禅問答みたいですね。
利休も手本にしたという珠光。
この珠光という人が
どんな茶をして
どんな話をしていたのか
聞いてみたいです。