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私はフェラーリだったのか!
こんにちは。橘吉次です。
窮鼠、猫を噛む
火事場の馬鹿力
古より、人は追い詰められた超ピンチの時に、想定以上の思いもよらないほどの能力を発揮すると言われている。
本日はこの「思いもよらない力」についてちょっと考えてみたよー!
ジョハリの窓
「人は4つの窓を持つ」
アメリカの心理学ジョセフ・ルフトとハリ・インガム、二人の名前から命名された「ジョハリの窓」をご存じだろうか?
これは「自分から見た自分」と「他人から見た自分」に分けて自己理解を深めましょーっていう自己分析方法のひとつなのね。
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「私は〇〇です」と社会に向かってハッキリ申し上げることができる「自分」が『開放の窓』だよね。
社会や組織、人間関係に開かれている「自分」のこと。
これはわかりやすい。
でも人には見せない「自分」ちゅーものも存在する。
まあ大概は社会的に褒められない悪癖を持つ「自分」とか、対人関係を破壊してしまうような性格とか思考とか…
いわゆるネガティブで悪しき「自分」が『秘密の窓』
能ある鷹はナントヤラもこの窓だよね。
更に、みーんな知っているのに、当の本人だけが認めていない「自分」というものがある。
「君は否定するかもしれないけれど、君は相当、ガンコだよ」
「へっ?私がガンコ?そんなことないです。私、人には素直に従いますよ」
「いやいやいやいや、表面的にはそうでも、実はガンコだよね」
「…いや、そんなことはないです…」
というヤツである。
「自分のことって、ホントにわかんない」
「自分のことは自分が一番知らない」という普遍の人間理解は、
■人の振り見て我が振り直せ
■人を以て鏡と為す
■反面教師
など、様々な慣用句で表現されて、人を戒めてきた。
これが『盲点の窓』
そして最後が『未知の窓』
自分も知らない、他人も知らない、だーれも知らない「未認知の自分」である。
これが本日のテーマなんよ。
スーパーな自分はいつも寝ている
自分も知らない、他人も知らない、だーれも知らない…だったら、そんな「自分」は存在しないんじゃないの?と思うよね。
そう、普段は存在しないのよ。
日常生活においては表面に現れない「自分」だから。
ところが、絶体絶命超ピンチ!とか、生きるか死ぬかの瀬戸際!とか、ある場面、ある環境、ある状況の極限状態で突如現れる全く未知の「自分」がいるらしい。
この「未知の自分」は途轍もない能力を発揮して、ピンチを切り抜けサバイバルを乗り越える…。
人生どん底からの逆転劇とか、ハンディキャップが天才性を開花させる話が後を絶たないのは、この「未知のスーパーな自分」という存在があるからなんだよね。
居るんだったら、毎日出てきてよー!って思うけど、出てきてくれない…。
それは「未知の自分」は無意識の底に眠っているからなんだよねー。
つまりコントロール不可能なわけよ…ガックシ…。
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スーパーな自分にせめて一度はお会いしたいものだけど、生きるか死ぬかの瀬戸際なんてできれば経験したくない。
人生どん底を味わってみたーい!という人は少数派だろう。
平和で治安よく、穏やかに毎日が過ぎていくこの日本では、スーパーな自分が出てくるチャンスはそーそーないだろうね。
残念です…一生逢えないんですね…シクシク…
いや、ちょっと待って。
逢えるチャンスがないわけではないよ。
それはね…
フェラーリの自分を認めよう!
私の師匠は言った。
「フェラーリでコンビニ行ってたら、そりゃエンジン壊れるよ」
けだし名言である。
神に与えれたこの身体はフェラーリ級の性能を持っている!そう思っている日本人がどれだけいるであろうか?
途轍もない能力が自分に秘められていると自覚している日本人って何割いるだろうか?
そうなんだよ。
みーんな自覚してないの。
・自信がありません
・私には無理です
・私はできません
そー発言する人ばかりじゃん!
「スーパーな自分」がでてくる場面を自分で潰しているんだよねー。
ご近所のコンビニ程度の安全圏内をウロウロしてるだけじゃ、スーパーな自分に会えるチャンスはない。
でも、安全地帯を出れば会えるチャンスはある!
人生どん底とか、生きるか死ぬか…の危険ゾーンに行かなくても、「出来ないかもしれないけどやってみる」とか「無理かな?でも挑戦してみよう」レベルでも、会えるチャンスは充分あるのだよ。
まずは、自分がフェラーリであることを認めようね。
「自分」って、自分が知っている顕在意識の「自我」だけじゃないんだよ。
「自分」には神が与えたスーパーフェラーリの「魂の領域」ってもんがあるんだから。
このスーパーフェラーリの「魂の領域」の存在を信じることが、ホントの「自信」なんだと思うよ。
あなたは、どう思う?
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