「八大人覚」 (8)

【仏の道:遠望・近見】 (89)
「八大人覚」 (8) 

【不戯論と言うこと】

    八つには「不戯論」。
    証して分別を離るを、不戯論と名づく。
     実相を究尽す、乃ち不戯論なり。

    【語義注釈】
    ◉ 戯論: (ケロン) 無益な、また無意味な言論展開を言う。
     無益・無用の言論や分別。または、非論理的な話を指す。 

第八には不戯論(無益な議論をしないこと)である。仏の教えを悟って、妄想 分別を離れることを不戯論という。つまり、真実の法を究めることが「不戯論」であ る。
 
    仏の言はく、
    「汝等比丘、若し種々の戯論は、
    其の心 則ち乱る。復た出家すと雖も、
    猶ほ未だ得脱せず。
    是の故に比丘、
    当に急ぎ乱心戯論を捨離すべし。
 

  仏の仰るには、
「比丘(僧)たちよ、もしいろいろ無益な議論をすれば、心は乱れるものである。またお前たちは、出家したけれども、まだ解脱を得ていない。だから比丘は、すぐに心を乱す無益な議論を捨てなさい。

    汝若し寂滅の楽を得んと欲せば、
    唯だ当に善く戯論の患を滅すべし。
    是れを不戯論と名づく。」 

お前たちが、もし寂滅(煩悩を滅ぼした涅槃)の楽を得ようと思うなら、ただ無益な議論のとがを滅ぼしなさい。これを不戯論という。」

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