駿河屋とギターと。
こんにちはnoteの民達。生きている生ゴミと申します。
突然ですが、あなたは死にたいと思った事がありますか?
私はあります。
ただ言葉にしたり声に出すのは抵抗があって、今もこんな事を書いてしまって腫れ物みたいに扱われたらどうしようと少しそわそわしています。
バグって外れない希死念慮。
希死念慮(きしねんりょ)は、はっきりとした理由もないのに漠然と死にたいと願う事を指した言葉です。
私はこの言葉を思い出すと、いつもセットで芥川龍之介の文章が浮かびます。
らせうもんの人です。
誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはいない。
───────中略────────
君は新聞の三面記事などに生活苦とか、病苦とか、或いは又精神的苦痛とか、いろいろな自殺の動機を発見するであらう。
しかし僕の経験によればそれは動機の全部ではない。
───────中略────────
少なくとも僕の場合は唯ぼんやりとした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安である。
芥川龍之介 或旧友へ送る手記より
まさにこれ。
現代的に言うならRPGのコマンド画面がバグって、一番下に『死にたい』がプラスされたまま生きている感じです。
それは、
例えばnoteを書き終えたとき。
例えば美味しいご飯を食べ終えたとき。
例えば楽しい会話が終わって別れたとき。
例えば一人で歩く帰り道。
色んな日常の場面でやってきます。
元気な時は
「なんでや!」
と自身に突っ込むぐらいの余裕があるので希死念慮に捕まることは無いです。
ただそれなりに生きていると弱ってる時期が必ずあるじゃないですか。
そうすると、なかなか逃げられないんです。
身辺整理。
私は学歴も職歴もまともな物が一つもない人生で、ずっと非正規雇用と家族の愛で食い繋いで来たんですが、諦めずに挑み続けていたら正社員になることが出来たんですね。
凄く嬉しかった。
でもその職を失ったとき、いつもは上手いこと逃げていたのに希死念慮に捕まってしまいました。
布団から起き上がる事も出来ず、日がな一日考えるのは辞めた職場で言われた罵詈雑言ばかり。
死ぬしかない。
と思いました。
こんな人間が生きている事が間違いだ、と。
そう決めてしまうと、心が軽く元気になりました。
布団から起き上がり、お風呂に入り、髪を束ねて部屋の片付けを始めました。
何日もかけ本棚のお気に入りの本を、CDを、ゲームを段ボールに詰めて駿河屋のネット買取りに送りました。
売れない程に読み潰した本やノート、日記は古紙回収に出し、洋服はゴミに出しました。
死ぬ前に全てを綺麗にしておこうと考えたんです。
駿河屋とギター。
後は本棚やタンスをばらして捨てるだけになった頃、少し問題が出てきました。
趣味にしようと買った安いアコースティックギターが捨てられない。
仕事の事で一杯一杯になり放置していたギターを捨てるのが忍びなかったんですね。
悩んで悩んで買った相棒です。
かと言って売れる様な上等な物でもない訳です。
更に問題はもうひとつ、
買取りに出した駿河屋からの連絡が一向にこない。
後に知ったのですが、
実は駿河屋、買取り業者の中でもかなりのマイペースで有名でした。
「暇だしギターでも弾いて待とうか」
なんでそんなのんきな発想になったのか、今でも謎です。
がらんとした部屋で朝も昼も夜も、ギターを弾いて過ごしました。
集合住宅なのにアホです。
ギターを弾いていると、必死にコードを追いかけるせいか嫌な記憶を思い出さないでいられました。
そうしている内に駿河屋から買取り金額の確認のメールが届きました。
十七万近い額でした。
「え、免許とれるじゃん」
そうして降って湧いた大金を使い果たす為に思い付きで教習所に通い出します。
季節は冬から春に変わる頃でした。
暇なので毎日歩いて教習所に向かうと、段々と辺りが明るくなりました。
菜の花が咲いて、桜が咲いて、田んぼには蓮華草が揺れて、教習生の日本語が分からないフィリピンの方と仲良くなってジェスチャーで会話して笑って、テストの前には励まし合って笑って、十代の子達と一緒に救命講習を受けて笑って。
運転免許を取り終えた時には、
人を追い詰めたあの職場の糞共がのうのうと生きているんだから、私だって生きていても良いだろう。
と思えるぐらいには回復することが出来ました。私は、なんとか逃げ切ったんでしょう。
唯、ぼんやりとした不安。
学生時代に芥川龍之介のあの手記に出会えたことが、すでにとてもラッキーでした。
「私だけじゃないんだ」と思えたからです。
そんな、ラッキーな人間でも逃げられなくなる。
自殺はしてはいけない。
死にたいなんて言わないで。
全部正論です。
でも、そんな言葉があっちこっちに転がっていると
これは間違っている事なんだ。
考えてしまってはいけないんだ。
と一人で抱えるしかなくなると思うんです。
その先にあるのは悲しい結末です。
私は芥川に出会えていたこと、自身ののんき気質、駿河屋がマイペースだったこと、いい買取り金額を出してくれたこと、ギターが楽しかったことに救われました。
でもそれは、たまたまです。
幸運だっただけです。
今まさに!という人に必要なのは正論ではなくて一人にさせない言葉だと思います。
だから、こうして体験談を書きました。
仕事がなくても、お金がなくても、友達がいなくても、恋人がいなくても、家族がいなくても、病気を抱えても、引きこもっても、明日が怖くても、誰かがあなたを鼻で笑っても、一人じゃないです。
私もそうです。
もういい大人と言うよりは、おばさんと言われる年齢ですが、いつもぼんやりとした不安があります。
でも生きています。
そして私は、同じような思いを抱えて生きているあなたと話がしてみたい。
noteにも、あなたの体験を読んでみたい人が沢山いると思います。