嫌のレンズを通して自分を見つめる
自分の解像度を上げるため、好きなことから〝 嫌 〟を見つけてみる。
〝 嫌 〟のレンズを通して、自分を見つめてみる。
*
朝、服を選ぶ瞬間。頭の中で繰り出される自分のひとりごとをじっくり聞いてみることにした。「最近、この服がマイブームなんだよね」「今日は、これを着たら気分が上がりそう」と、好きに目が向いていることに気づく。
そこからあえて、嫌いに目を向けてみることにした。どうなったら嫌だから、私はこれを選ぼうとしているのだろう、と。
今日選んだのは、全身白の服。今日は特段外出する予定もないし、朝はスイーツ作りがしたい。白い服は汚れそうだし、もっとカジュアルな部屋着のほうがいいかも、と一瞬頭をよぎる。
だけど、この服を選んだ。思い立った時、すぐにどこへでも行ける状態にしておきたかったから。フットワークが重くなるのが「嫌」だったんだ。新しいことに出会えるチャンスを逃すのは「嫌」だから。
他にも嫌が隠れている。どうも、部屋着で外出するのが「嫌」みたい。
特別な感じがしないからだ。私は毎日を特別に生きたい。毎日を特別にするため、妥協するのは、「嫌」。妥協した毎日の積み重ねが後悔へつながる。そうなるのが「嫌」なんだ。
楽な服装で快適に過ごすより、きれいな服を着て緊張感のあるほうが特別な日にできそうでいいかも。と考えていることにも、気づいた。
常に新しいことに出会える姿勢でいる
毎日を特別に生きる
1つの選択に対して「嫌」を深掘りしていくだけでも、これだけくっきりと自分の価値観が見えた。
*
ずっと、自分の「好き」なことがわからなかった。だから、意識的に「好き」に目を向けていたけれど、今度は嫌いに目を向けてみる。そうすれば、もっと自分を知れる。
私たちは、小さな選択を毎日している。今までは好きにだけフォーカスして選んでいたけれど、そこには「嫌」も隠れていて。まずは小さな選択で「嫌」の輪郭をはっきりさせれば、大きな選択も容易になっていきそうな予感がした。
*
ちなみに今日のnoteは、昨日のnoteの続き。