きこえない オト 宿る コトバ
八木さやちゃんの今日のブログ
➡️https://ameblo.jp/atelier-ringo/entry-12636230273.html
ぐっときた。
以下、引用文なり。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
女が力を持っていて、
男が愛を持っている。
だから女は愛を欲しがり、
男は力を欲しがる。
自分にはないものだからね。
女の本音は
どれだけでも力を発揮するから
頼むから愛してくださいだし、
男の本音は
どれだけでも愛すから
どうにか力を与えてください。
なんだよね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
すごーく分かる。
いま、バイトをしていて、辛いとき、自分で自分にかけてあげると、
安心する言葉がある。
「よーやっとるよ」
という言葉。
うまくいかないときに、この言葉を、心の中で、かけてあげると、
キュンッと嬉しくなって、体はゆるむの。
どれだけ愛されているか。その言葉で感じるのです。
八木さやちゃんの言葉は、身体に響く。
山口潤さんの言葉も、身体に響く。
➡️https://note.com/karadalab
どちらも、論理的に理解する類のものではない。
だからこそ、身体に染み渡り、ふるわせられるのか。
単に、意味不明な言葉がいいってもんじゃないのよ。
詩的であればいい、ってものでもない。
論理的に理解・説明不能だけど、ドシンとくる。そういうことって、ある。
他者からのmake senseやロジックを追うのは、
誰からも非難されないように、という、恐怖を動機としている。
自分のカラダという発信核があって、
その声に耳をすませ、どう感じ、動き、また、どう感じたか。
感じながら、動き、
動きながら、感じる。
それを追うことで、超次元的ロジックが、おのずと、うまれてくる。
うむのではない。うまれてくるのだ。
そうしてうまれたコトバには、
みみでは、きこえないオトが宿って、振動していて、
わたしのからだは、ソレと共振するのだ。