教師A→会社員Aの日々
こんにちは。文章のnote投稿が半年ぶりくらいになったひすとりです。
今日は、教師を辞めて2年間の日々をざっくばらんに振り返ろうかなと思います。
◇
教師を辞めて約1年間は完全に無職状態でした。
転職活動をはじめてやはり教育関係の何かが良いのでは?など自分探しに没頭したり、生活のためにお金儲けについて考えたりしました。
しかしいろんな情報を入れれば入れるほど、精神的に追い込まれていき、ついに職探しまでもお休みすることを余儀なくされます。休職していた時期と同様に、頭と体を動かすことからお休みすることに決めたわけです。
お休みすると自分の意志で決めてからは、随分と楽になり、メキメキ明るくなっていったのを覚えています。
友達と遊んだり、好きなこと色々探したり…。
ようやく「成長しなきゃ」マインドから距離を取れるようになります。
◇◇
流石に生活のためにも別の仕事を探さないといけなくなって、いくつか面接に当たってみました。まあ色々とありましたがそこは割愛して。
最終的には、現在勤めている会社にご縁がありあれよあれよと仕事に就くことになりました。
教師時代には知らないことばかり。ベースは教育関連なのですが業務内容はもちろん教師の仕事とは大きく異なります。
いろんな種類のITツールでの情報整理や、チャットでの同僚とのやり取り。
教師同士では使ったことのない、今では常識になりつつあるビジネス用語のあれこれ。
教師じゃなくなって、ザ会社員になって思ったのは、これが世の中の多くのサラリーマンの姿なんだなという当たり前のことでした。
”教師は世間を知らない”なんてよく言われてその度に嫌な気持ちになっていました。
しかし、文字通り「世間=大多数が日々経験している会社員的な経験」という観点で言えば、まあその通りだったのかもなと今は思います。世間しらずという悪口ではなくて、事実ベースで、多くの会社員の日常とはそりゃ違うよなというニュアンスですね。
新しい環境に飛び込むのは本当に死ぬほど怖かった。けど入ってみるとありがたいことに結構自分の特性とか得意分野とマッチしてて、あれよあれよと慣れていったんです。
そんな感じで1年間無事に過ごせて感じたことがあります。
◇◇◇
それは「新しいことを生み出すことだけが価値のあることという思い込み」に気づいたことです。
教師時代の私は、
という意気込みだけで教師をやっていたように思います。
その背景には、社会から要請されている教育課題に注目していただけではなく、自分自身の生きづらさを心の中で感じていて、それを払拭するために生徒を使おうとしていた側面もありました。(自己実現的なやつ)
でも、今、会社員として業務を進行している中で中心となるお仕事は、
です。
つまり新しい価値をバンバン生み出すではなく、今あるものをしっかりと安心して使い続けてもらうために黒子となって動き続けているということです。
最初は正直作業も地味で地道ですし、お客さんの顔が見えないですし、教師のそれと比べると掴みどころがないように感じました。
しかし1年間通じてやっていく中で、
こうやって黒子のように淡々と、でも確実に進めていくプロジェクトやタスクたちが、絶対的な成果として現れて、しかもそれが誰かのためになっていると気づいた時、
それまで教師をやってきて自己否定の理由になった「子どもに貢献できていない感」とは違った充足感を覚えたのです。
そうか。新しいものを生み出すこと、みんなにはない突出した価値を生み出せることだけが私の存在意義だと思い込んでいたけれど、
と感じられるようになってきました。
これに気づいた時、私が教師時代に足りなかった視点も見えてきたのです。
◆
それは、「生徒たちの今の姿をそのまま受け止めて、安心安全に彼らが日々を当たり前に過ごす黒子になること」でした。
生徒主体に、一人一人が主人公に!とか、
VUCAの時代に向けて、問いをたて解決に臨むしなやかさを!とか、
多様性とエンパシーを!とか、
自己肯定感、メタ認知を!とか、エトセトラ…
そういう理論とか方法論とか、それはそれで必要な要素なんですけど、それだけでなんとかしようとしていました。
もっと根源的に、その場に居て良いという当たり前のことをどう作っていくのかという視点が欠けていたような気がします。
◆◆
と、いうことで教師Aから会社員Aになった私ひすとりは、最近そんなことを思い学んでおります。
カドがだいぶ取れて丸くなってきたような、周りから見るとそんなこともないのかな?笑
時々また徒然日記を書こうかな。
よければまたお会いしましょう〜
今日はこの辺で。
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