「授業中はiPadを使わせないことにした」という話を聞いて。
今日はICTと教育についての持論をお話ししていきたいと思います。特に授業中に生徒にタブレット端末を使わせるか否かと言う議論についてです。
この記事を書いている人:
現職教員としてはたらく20代。教育改革や職場改革に奔走するも、心身不調により休職経験あり。教育についての自分の経験や科学的情報、心身安定に関する情報を発信しています。
授業中、生徒には使わせないことにしたんですと言う言葉を聞いて愕然とした。
新しい授業について、本格的に詰めていく時期になりました。いよいよ新年度の授業が始まっていくころですよね。
私もあーでもないこーでもないと、いろいろ考えながら次の試験までの範囲の授業を着々と準備を進めています。
そんな話の中で飛び出た言葉が表題の通り。
私生徒にタブレット端末を使わせないことにした。
だって生徒が授業中にいろいろいじりそうだから。
さて、皆さんはこの言葉を聞いてどのようにお感じになるでしょうか。
私は率直な感想を言うと
この時代にその言葉出しちゃう?
でした。
続きの言葉に詰まってしまって、「なるほどそう思うのですね」と反応するので精一杯でした。
しかし少し間をおいてからもう一言付け加えます。
生徒に授業中どうやってタブレットを使わせるのかというのが、私たちの腕の見せ所だなぁと思ってます。
その言葉に「なるほど」と言う反応をいただいたのですが、それ以上その方とその言葉の深いところまで話すことができませんでした。
もしかしたら、今までの授業の経験から、いろいろ工夫してもどうしても生徒がタブレットをあらぬ方向に使うことを、整理することができなかった。
そんな経験から出てきた今年のチャレンジなのかもしれません。
わたしはその言葉面だけを見てその話を評価すると言うつもりはありません。
しかし、その言葉から改めてタブレットについて、ICT教育について、人によって様々な意見を持ちなのだと実感した経験になりました。
使わせないのではなく、どうしたらうまく使わせられるようになるのかを指導する
先程の言葉の対応にも書きましたが、私のICT教育に対する立場は、
うまく使えないなら禁止すればいいやではなくて、どうしたらこれからの社会で絶対に必要なICT機器を、適切に使えるようになるのかを指導する
ことです。
子供たちは、中高を出たら完全に独り立ちするようになっていきます。いや本当は自立していなくても社会に放り出されるのです。
中学校高校でICT機器の使い方など学ばなくても、自然と学んでいくよなんて言う言葉は、私的には責任放棄だなと感じています。
教員の最上位目的は、子供の自立にあるからです。
自立をしていくためには最低限絶対に必要となる力をある程度身に付け身に付けさせ、たくさん失敗から学ばせながら行っていくことだと思っています。
社会に出て失敗するなとは言いません。
むしろそこからが失敗の連続だと思っています。
しかし失敗に慣れていないと、失敗から学べば良いのだこれが事実なんだと気づく経験が全くないと、社会に出てたくさん失敗をしたときにそこで折れてしまいます。それは今回のテーマであるICT機器についても同じことです。
ポジショントークだけをしても意味がない。
と、自分の立場を表明したところで、実際に学校でそういった風潮を広げていくためには、いろんな人にいろんな先生にその体験をしてもらうことしかないのではないか。
その方も、もしかしたら今までどうやって使っていいかわからず、うまくいかずに困っていただけなのかもしれません。
前回の「先生の時短術」の記事にも書きましたが、結局そういった使い方や実践と言うのは私でもできそうかもと思わせられるような体験をすることが1番なのだと思います。
無理がない程度に、勉強させて欲しいと言う理由で授業を見に来てもらったり、iPadの相談をあえてしてみて一緒に学んでいく姿勢をとると言うことが大事なのかもしれません。
全国の先生方、保護者の方、そして現在学生の方どのようにお考えでしょうか?
🖋あとがき
ここまで記事を読んでくださった方、ありがとうございました😊
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