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“狙って”書かなくても、にじみ出るもの

平野紗季子さん、フードエッセイスト。
著書『生まれた時からアルデンテ』に、こんな一文がありました。

きらいな味があれば、
想像力に終わりが来ないので楽しいです。

衝撃でした。
心の中で、やられた〜!と。
私には、『きらい』と『楽しい』が結びつくイメージが全くなかったから。


相反するようなことを一緒に感じるって、なくはないと思うんです。「苦手だけど楽しい」、「美味しいけど辛い」とか。例えがちょっと違う気もするけど、そこは置いといて。

だけど、「嫌い」に対しては、もうそれだけで近づけないイメージがありました。
“近づこうとする気が起きない”、と言ったほうが良いかもしれない。

そんな「嫌い」に対して、「楽しい」と言っている。
すごくインパクトがあります。
私の中では結びつかなかった二つの言葉が、さらっと繋がっているのです。しかも、とても自然に。『きらい』とひらがなで書いているのも、あえてそうしているのだと思います。

どうしたらこんな一文が書けるんだろう。


この章で平野さんが語ったのは、苦手なレーズンについてでした。

いわばレーズンサンドの美味しさは、
私が私でいる以上手の届かないもので、
だからこそ余計に
それを愛する人にとって
どんな味がするのだろう、
どんなに幸せなのだろう、と気になってしまう。

だから『楽しい』のだと。

こんな考え、私にはなかった。
大げさだけど、目の前がパーっとひらけた感覚がありました。

いったい彼女は、どんな風にこの世界を見ているのだろう。


どうしたらこんな一文を書けるのか、ではなく、どんな世界を見ているのか、ということが気になってきました。

それは、文章を書いているというより、「感じた世界をそのまま表現されている」のだと思えたから。


平野さんは、食べものやレストランのことをよく書かれていますが、いわゆる「食レポ」とは少し様子が違います。
その言葉選びは、独特というか、新鮮というか、大胆というか。

最近、彼女のPodcast「味な副音声」も聴き始めました。
そうしたら、話す言葉もやっぱり文章と同じで。
スラスラと出てくるんです、“平野節”が。
平野節なんて勝手に言っちゃダメかしら。愛を込めてそう呼ばせてください。


言葉をゆっくり選んで文章にしているというより、もとからこういう表現がぽんぽん出てくるのかもしれません。
話すように流れるように、見たまま、感じたままに書いている。
狙って作られた物ではなく、本物。
そうして綴られた文章が、とても魅力的。

私もこうありたい。
とても憧れます。


きっとこれは、すぐに身につけられるようなものではありません。
平野さんが小さい頃から体験してきたことや、それをつど言葉にしてきた経験、「食」というひとつのカテゴリーを大切に極められていること、彼女の人柄や周りの人たち。
さまざまな要素が組み合わさってこそ、生まれてくる表現なのでしょう。

うーん、今からでも間に合うのかな。
作り込まなくても、魅力が滲み出るような文章を書きたいものです。




ことばと広告さん「書く部」での企画
#わたしの好きな一文選手権
に参加してみました!
どんどん話が膨らみ、平野さんへのファンレターのようになってしまった…
お題から考えるのも楽しいです。

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