日本代表にも会社にも共感できない件
先日、同世代の知人何人かで久々に再会して飯食ってた時にこんな話が出てきました。
「同僚やお世話になった先輩には愛着あるけど、会社組織自体には特に思い入れがなかったから前の会社辞めたんだと思う」。
なるほどなぁと思いました。その感覚はよく分かるな、と。
"日本代表"という人は実在しませんが?
いきなり話が変わって申し訳ないのですが、僕は昨年日本を大いに沸かせたサッカーワールドカップに1mも興味を持てませんでした。まあそれはいつものことなんですが、W杯の度に出てくる「日本のために」「日本代表」というみんなを熱くするその概念が全く理解できないのです。
これは別にサッカーに限った話ではなく、野球もそうだし最近何か話題になったバスケットボールも同様です。
スポーツが嫌いなのか?いえいえそうではなく、たとえば僕は人生通して格闘技が大好きだし、10万円のVIP席に自腹で何度も観戦してる位にはライブスポーツ観戦が好きなのです。
ではなぜか?シンプルに言うと「実体のないものに共感できない」ということです。
日本代表という人は存在しません。概念でしかない。だから共感できないし応援する気にもならない。
だから日本代表なる存在に対して「感動をありがとう」的なムーブメントにそっと距離を置きたくなるのです。
その代わり、選手一人一人のドラマや生い立ちにはちゃんと感情移入できる。格闘技が好きなのは、選手個人の生き様が見えやすいからなのですが、要は僕は団体やチームではなく、その人個人に対して愛着が湧くタイプなのです。その集合体がチームスポーツだと言うことは理解していますが、概念にはどうも共感できません。
「会社」という実体のないもの
さて、話は戻ります。日本代表と同じくらい、「会社」という存在も実体がなく、謎の概念です。
そんなこと言えば街も国家も概念でしかないのですが、僕はどこまで行っても共感するのは目の前の個人。
よく「組織にどう貢献するか」「会社の為に」的な議論はありますしその意味は分かるのですが、僕個人としてはこの感覚は全く共感できない。目の前のお客さんのため、好きな同僚や上司のため、なら分かるんですが、実体のない概念のために頑張る、という意味がよく分からんのです。
喜びは半径5メートル以内でいい
なんでこんな事を言い出したのかというと、「会社に幻想抱く事で絶望する人」がいるからです。今更ですが、会社大好き!な人を否定する気もないし疑ってもいません。でも、その会社大好きな人のキラキラ具合が我々日陰者には眩しすぎるのです。
僕なんかは生粋の天邪鬼なので、そのキラキラハラスメントに耐えられるのですが、そうでない人もいる。
つまり、「この世のどこかに自分が輝ける会社がある」と切望し、その願いが打ち砕かれた時に絶望してしまうのです。
そんなにビジョンとかあなたは背負わなくていい
パーパスとか共感できなくても焦らないで
社会課題解決なんて立派なことじゃなくてよくて、自分が幸せにしたい半径5メートルの人さえ笑ってくれればそれで良くないですか
そんな言葉を送りたい人が、何人かいるのです。
好きな事を仕事に、的な世界観は甘美な色気に満ちています。しかし、それはまた毒でもあるのです。
そんな事を、よく考えています。
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