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見えていないように見えても見えている

1983年から2021年3月まで特別支援学校に務めていました。2021年3月に定年退職。運動やコミュニケーションに大きな制約があるお子さん(重度重複障害児という表記には違和感を感じるようになりました)からとても多くのことを学びました。そのことを書き綴っていきたいと思います。


見ることに関して思い込みしていることを教えてくれたEさん

Eさんはお話をする方でした。しかし、どこに視線を合わせているのかがわからず、見たものについてお話しすることがなかったので、見えているのかどうかわからないとされていました。

当時、中野泰志さん(当時は国立特殊教育総合研究所 現在は慶應義塾大学)に学校に来ていただいて、見ることの支援の大切さと具体的な手立て、ひとりひとりの子どもたちの可能性、寄り添う支援の大切さ等について勉強する機会を得たときでした。

そこで「視線が合わないから見えていない」とせずに、見えにくさを軽減する工夫をしてみました。背景を整理してコントラストをつけるためにEさんの前のテーブルの上に黒い画用紙を置いて、その上にアルミホイルを2センチ程度の大きさに丸めて玉にしたものを置いてみました。

するとEさんは迷うそぶりなく、アミルホイルの玉に手を伸ばして上手につまみあげました。とても驚いたことを覚えています。すぐに「見えているかどうかわからない」という記録を書き換えました。

それまでEさんは給食の時に食べさしてもらっていました。メニューを紹介して、何を食べたいかを尋ねて、Eさんの口にスプーンを運んでいました。しかし、見つけたものをうまくつまむことがわかったので、ご家庭の了解を得て、自分で食べるものを指でつまんで食べてみることにしました。すると見事にEさんが食べたい順番で、とても満足そうに自分で食べることができるようになりました。

「見えているかどうかわからない」=「見えないだろう」という思い込みを見事にひっくりかえしてくれました。常識は非常識だとつくづく思いました。

思い込みにとらわれて「機会」を用意しないでいると、子どもは可能性を試す機会を失ってしまうことを教えてもらいました。


補記:1997年に第1回のATAC(エイタック)カンファレンスが開催されました。コミュニケーション支援や支援技術(AT:Assistive Technology)に関する研究会で現在も続いています。そこで中野泰志さん(当時は国立特殊教育総合研究所 現在は慶應義塾大学)の弱視障害疑似体験に参加したことがきっかけとなり、「見ることの支援」について継続的に勉強する機会を作ってもらいました。支援の情報を共有するためのアクションを起こすきっかけをいただきました。疑似体験実習の詳細に関する資料があります。http://web.econ.keio.ac.jp/staff/nakanoy/article/atac/atac2002/simulation3/simulation3.html

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