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医療的ケアに携わることの価値

1983年から2021年3月まで特別支援学校に務めていました。2021年3月に定年退職。運動やコミュニケーションに大きな制約があるお子さん(重度重複障害児という表記には違和感を感じるようになりました)からとても多くのことを学びました。そのことを書き綴っていきたいと思います。


吸引が終わると嬉しそうに笑ったHさん

特別支援学校には医療的ケアが必要なお子さんが少なくありません。過去においては医療的ケアが必要なお子さんは通学の対象にならなかった時代がありました。多くの人々の工夫と努力を重ねる中で、医療的ケアが必要なお子さんが通学できるようになりました。しかし、未だに数々の障壁にお子さんもご家族も心を痛めていると思っています。

医療的ケアの実践的研究に取り組んでいた学校にいた私は、ドクターの指導を受けながら医療的ケアの研修を進め、医療的ケアに対応していました。今のように非常勤ナースが配置されるずっと前のことでした。

そこで強く感じたのは、「役に立てる」という強い実感でした。その当時は子どもたちから学ぶことがまだうまくいかず、支援の拠り所の頼りなさに悩んでいる頃でした。その様な中で医療的ケアを通しての支援は役に立てる実感を強く感じることができるものでした。

Hさんは口鼻腔内の吸引をすることにより学校生活が安定して過ごすことができる方でした。当時も今も、医療的ケアの実施に当たっては数々の「ローカルルール」がご家族にとって大きな障壁になっていると考えています。当時、Hさんに教員が口鼻腔内の吸引をするためには、ご家族が学校に申請して、教員の研修が終了するまでは親が校内に待機することが求められていました。現在は待機の期間は以前より短縮されていますが、当時は1年間かかりました(以前在籍した学校とは異なり、その学校では病院が隣接していないために何事も慎重に進められました)。1年間の間、不合理な制度に耐えたお母様には感謝の気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

その1年が過ぎ、お母様が以前のように自宅で過ごすことができるようになった日、Hさんの口鼻腔の吸引をすると、Hさんは満面の笑顔を返してくれました。担任が医療的ケアをしてくれたという嬉しさと、お母様が以前の生活に戻ることができた喜びの両方があるのだろうと感じました。

その喜びをHさんとともに分かち合う気持ちでいっぱいになったのと同時に、その笑顔にとても大きな「重さ」を感じました。今でもその時の様子と喜びと重さは刻まれています。


補記:医療的ケアを取り巻く現状と課題等については、下川和洋さんのホームページ「医療的ケアが必要な子どもと学校教育」をご覧下さい。是非。http://mcare.life.coocan.jp/



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