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あのときの私とフェミニズム

パソコンを整理していたら、2019年10月19日に登壇したイベント【女性解放をめざした先輩たちと出会う――フェミニズムを引き継ぐために】の原稿(カンペ)を見つけた。

このとき私は、はじめて「フェミニスト」として公の場で自分語りをしたのだった。
イベントの様子は、今も動画で見ることができる。
さらにここで取り上げた婦人問題懇話会のミニコミは、WAN内のミニコミ図書館にて、デジタル資料として読むことができる。

フェミニズムとの出会いが、私に何をもたらしたのか。ギフトも沢山あったけれど、かさぶたを剥がすようなヒリヒリする痛みもあった。
フェミニズムは神様じゃないから、私の痛みをすべて解消してくれるわけではない。フェミニズムを知ったからといって人生バラ色になるわけではないし、悩みが減ったわけでもない。
けれど、この杖がなかったら、私は今日まで生き延びることができなかったと思う。自分の痛みにもひとの痛みにも鈍感で、それ故に誰かの足を踏んでいることに無自覚でいたと思う。

5年ぶりに原稿を読んで、あのときの語りは、あのときの私だけのものだと思った。古い鎧を脱ぎ捨てて、新しい服を着たばかりの私の精一杯の言葉があった。
このとき想像すらしていなかったけれど、2021年には、学びの師である井上輝子先生が亡くなってしまった。このイベントが、先生と一緒に舞台に立った最初で最後の場になってしまったことが、本当に悲しい。
今年の夏、ずっと勇気が出ずに行くことができなかった先生の墓前に立って、びっくりするほどワンワン泣いた。
仕事で男女共同参画に関わるようになった私を見てほしかった。フェミの先輩や後輩と沢山出会えたことを伝えたかった。もっと色んなことを相談したかった。

きちんと痛がるための「知」を手渡してくれた井上先生。あのときの私の語りと、先生への感謝をここに置いておこうと思う。


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