2022年2月24日、日常崩壊。
ロシア軍が「特別軍事作戦」と称してウクライナ侵攻を始めた。これによりウクライナにいる私達の生活は一変した。移住の経緯については別述するとして、これから2、3話ぐらいに分けて、ウクライナが侵攻した2月24日から国外脱出するまでの出来事を、自己の備忘録用に忘れぬうちに書き残しておきたいと思う。それ以前のウクライナとロシアの緊張状態や、侵攻開始が始まるまでの経緯などについては、詳しく書いている方沢山いると思うので割愛。
2月23日の深夜にTwitterでニュースを見た。元ツイ見当たらないけど確か、
「2月24日の午前4時にウクライナ侵攻開始との情報」
みたいなやつだった。
また米国お得意の、事前に情報流してロシアの攻撃封じるいつもの奴か
と、いつもなら気にも止めていなかっただろうが、その時は深夜ということもあってだったと思うが、凄くいやーな胸騒ぎがして寝付けなかった。
どうでもいいけど、ここでいう密会とは2年前リヴィウ大学で夏期講習の時お世話になったウクライナ語の先生とお茶の予定。リヴィウに越してきてから3ヶ月がとうに過ぎていたが、お互いタイミングが合わずようやく会える日になるはずだった・・・・。
それでも睡魔には勝てず、胸騒ぎと悪寒を堪えて既に寝ている妻と娘達をハグして寝てしまった。そして・・・・
妻の泣き声で約4時間後に目を覚ますことに。嫌な予感が的中、ロシア軍がウクライナ侵攻を開始、首都キーウを含む複数都市を空爆。私達が当時住んでいた西部の都市リヴィウでも警報が鳴っていたらしい(気づかず)。
急遽、娘達の保育園をキャンセルして自宅に籠らせる。食料調達は必要なので私が近くの大型スーパーに買い出しに外に出たところで、ようやくサイレンの音が聞こえる。しかし人々は気にせず通常運転。
朝の時点ではまだスーパーの品揃えも普通だったので、慌てず買い溜めもせず通常通りの買い物を済ませて帰宅。Twitterで状況投稿をしつつ情報集をしようと開くと、今まで経験した事のない頻度で通知の嵐。これがバズり?
その後も続く空爆被害状況ツイートでパニックになり自然と涙が出てきたのを覚えている。外国からは何の助けもなくただ一方的にやられ続けるリンチ状態のウクライナをみてついこんなツイートを・・・。
その時のコメント・引用リツや別のニュースへのコメントを見て、日本やその他の国の冷たさに軽く絶望。「NATO非加盟」だからしょうがない、ロシアに手を出したら第三次世界大戦になりかねない、と言った意見が多数あった。この時は基本核反対だった私ですら、核兵器さえ持っていればこんな事態にならずに済んだのに・・・と真剣に思った程だ。
ずっと家にこもってTwitterでニュース追ってたら気持ちが悪くなってきて、夜のスーパーマケットへ買い物に出た。朝は通常通りだったはずなのに既に水とトイレットペーパーがほぼ売り切れ。一見いつもと変わらないが人々が静かにパニックになり始めた瞬間。。幸い朝出かけた際に必要なものは足していたが、この先を考たら一気に不安が襲ってきた。
二日連続で中々寝付けなかったが、適当にTwitterで吐き続けることで心を落ち着かせて眠気を誘い、無事侵攻開始初日を終えた。因みに当時目下求職中だった私と妻。2022年2月24日、私は現地のIT業界の端っこ企業からジョブオファーを貰い、妻は前日ようやく掴んだ面接の機会を奪われた日になった。色々な感情が混ざりすぎて泣く以外無い妻と呆然とする私。そして両親の変化を感じ取り、いつも以上に馬鹿騒ぎする幼い娘達・・・。
こうしてウクライナ・リヴィウに移住してようやく固まりつつあった私達の生活基盤は一日して崩れ去った。ただ侵攻や爆撃が始まったのはまだ東部、私達のいるリヴィウは西部にあり、言わばウクライナの最後の砦、絶対大丈夫、それまでにはきっと収束するさ。当時はそう思っていたのだが・・・(続
駄文を最後までお読み頂きありがとうございました。自分の備忘録、しかも内容も大して濃いものでもない、自身のツイートのまとめみたいな物になっておりますが、もしこの一在留邦人のTwitterリアル実況及び本記事によって、一人でも多くの方がこの件やウクライナについて関心をもってもらえたならば幸いです。
あ、スキとかコメントか反応頂けると喜びます。サポートとかももちろん喜びます。
サポート頂いた一部は寄付に当てて・・・、と本当は書きたいところなのですが、寄付なら支援活動されてる団体や個人へ直接していただいた方がいいと思いますので、今のところ私は次の投稿へのモチベの一部、もとい主に食べ盛りな娘達の胃袋を満たす為にありがたく使わせて頂く予定です。
まだ戦争の収束が見えないですが、ウクライナの復興はかなりの長期戦になると覚悟しています。今の緊急支援活動は勿論すごく重要なのですが、私達自身避難生活をしている身なので、まずは自分達の生活を安定させる事を優先させ、その後、ウクライナの復興支援を継続的に行う施策を考えていきたいと思います。皆様もウクライナへの興味関心を引き続き持っていただければ幸いです。