多文化共生の観点から、日本語教育について考える
2024年4月に開設する国際日本学科に所属する教員にお話を伺う「先生インタビュー」。研究の内容はもちろん、先生の学生時代や趣味の話まで、幅広いお話を伺います。
第8回は日本語教育の分野が専門で、日本語教師として本学の留学生別科でも教鞭を取る福池 秋水准教授です。
福池秋水准教授のプロフィール
福池先生の学生時代
大学では国語学(現在は「日本語学」と呼ばれる)を専攻していた福池先生。
高校生のとき、同分野の大家である金田一京助の本を読んだことが、国語学に興味をもつきっかけとなった。
それが、『日本語の変遷』というこちらの本。
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福池先生いわく、「日本語の文法や語変化の規則についての話を読んで、言葉の規則を発見するという概念や、古代の言葉と現代の言葉がつながる感覚が面白いなと思った」とのこと。
その興味が、国語学(日本語学)への関心へとつながっていった。
在学中に出会った「日本語教授法」の授業を経て、日本語教師の道へ
古い日本語の姿や、ことばの移り変わりを学ぶことは楽しかったが、一方で方言学や音声学の授業も興味深く、いま自分が話している現代語についてももっと知りたいという思いが強くなった。
選択科目で「日本語教授法」を取ったのも、現代の日本語を扱う授業だからという理由が大きかったという。
――そのときに、日本語教員のことを知ったのでしょうか?
福池先生:その前からそういった職業があることは知っていましたが、詳しいことはその授業の先生からいろいろ教えていただきました。ちょうど私が学生だったときに、安田成美さん主演の『ドク』というドラマがあったんですよ。
――ありましたね。香取慎吾さんがベトナム人役で、ヒロインの安田さんが語学学校の日本語教師役で。
福池先生:よく「そのドラマ見て、めざしたんですか?」って言われるけど、そうではないんです(笑)。
――違うんですね(笑)。でも、そこから日本語教授法の学びを深めていく中で、日本語教師をめざすようになると。
福池先生:そうですね。まだはっきりとどんなところで教えたいかは考えていませんでしたが、少なくとも修士号は取ったほうがいいということで、大学院の修士課程に入って、「日本語教育コース」というところで学びました。
そして、修士号取得後、日本語教師として海外で経験を積もうと考える。
行き先は、タイだった。
タイで日本語教師としての本格的なキャリアをスタート
タイ商工会議所大学 人文学部の講師として働きだした福池先生。
日本語学科の学生を対象に、会話や作文などの科目を教えた。
基本的には、
初級はタイ人の先生が指導
会話、作文などは日本人の先生が指導
というカリキュラムだったので、ある程度日本語ができる学生たちを対象として授業を行った。
――そのとき指導されていた学生さんたちの日本語レベルは?
福池先生:科目によっては100人ほどいたので個人差はありましたが、3年生くらいになれば私と日常会話ができるレベルでした。
――タイで初めて日本語教師として授業を担当されたんですか?
福池先生:大学院のときに日本語学校の非常勤講師をしていたので、授業は初めてではなかったのですが、仕事の内容は全然違うものでしたね。
――具体的には?
福池先生:非常勤で教えていた日本語学校では、専任の先生が作ったカリキュラムの中で、指定された部分だけを、指定された教材を使って教えたのですが、タイでは、自分ひとりで一科目を担当したので、内容やスケジュールも自分で決めました。
教えていた大学では、初級以外は教科書を使わなかったので、学生に合わせて、プリントなども全部自分で作りました。
――教材づくりから自分でとなると、大変ですね。
福池先生:でも、教材づくりは好きだったんで、苦にはなりませんでした。特に最初の頃は試行錯誤の連続でしたが、「こういうふうに整理して例文を出したらわかりやすいかな」とか、あれこれ考えながら教材を作っている時間は楽しかったです。
タイ商工会議所大学では3年間教鞭を取り、日本語教師としてのキャリアを積んだ。
帰国後は日本国内の教育機関などで日本語教育関連業務に携わり、2016年に関西外大に着任する。
関西外大・留学生別科での日本語指導
関西外大では留学生別科で、日本語の指導に当たる。
本学では世界55カ国・地域、395大学と協定を結び、北アメリカを中心にさまざまな国から交換留学生として学んでおり、多様な国籍をもった学生たちが習熟度別のクラスで日本語を学んでいる。
留学期間は1~2学期間の学生が大半。
帰国前に、教え子から記念の贈り物をもらうことも。
福池:中には陶芸の授業で作った作品をくれた学生もいました。どれも大切に飾っています。
基本的に日本に興味があって留学してきている方ばかりなので、学習意欲が高い学生が多く、授業は毎回充実したものになっています。
国際日本語学科での学びについて
「日本語教授法A」について
ここでは、福池先生が担当する科目から「日本語教授法A」について紹介する。
同授業の概要がこちら。
日本語教科書の比較がなぜ必要なのか?
上でご紹介した概要に、「日本語教科書の比較」という項目があった。
日本語教育について学ぶ初学者にとって、なぜそのような勉強が必要なのか福池先生に訊いてみた。
――さまざまな日本語の教科書を比較する意図は?
福池先生:個々の教科書の特徴について知ること自体よりも、教科書の分析を通して見えてくる「シラバス」や教授法について考えてもらうことが目的で行う活動です。
ちなみに、ここでいう「シラバス」という用語は、大学で授業内容を説明するものを指す「シラバス」と少し意味あいが違います。
――教科書によって学習項目の取り上げ方や並べ方(=シラバス)が違うから、カリキュラムや教授法に合った教科書を選ぶ必要があると。
福池先生:はい。また課の構成も、まず文法が出てくるものもあればリスニングから始まるものもあり、それぞれの教科書がどのような教授法を想定しているかが表れています。
コースの目標や教授法を決めると、それによって当然採用する教科書も変わってくることになりますね。
――なるほど。各現場に即した教科書が使われているわけですね。
福池先生:「唯一絶対の教授法はない」という表現があります。目の前にいる学習者それぞれに、合う教え方は違うはずという意味ですが、同じように、「この教科書が一番いい」ということもないんですよね。
教科書を見比べるポイントを知って、学習者に合うものを選ぶ必要があります。そういうことを学んでもらいたいと思って行うのが、教科書を比較する活動です。
日本語教育に関わる仕事は大きく広がっている
日本語教育に関わる仕事と聞いて、すぐに思い浮かぶのは日本語教師だろう。
逆にいうとそれ以外のイメージがなく、働く場が限定的という印象があるかもしれないが、実際には日本語教育に関わる仕事は多岐に広がっている。
例えば、
国内の日本語学校
海外の日本語教育機関
企業やNPOなどで外国の方を支援する仕事
教育関連(キャリア形成後に日本語教員養成、教科書の制作など)
福池先生:例えば、学校の先生だと、大学を卒業してすぐに教え始めることを想像すると思いますが、日本語教師の場合、キャリアは一本道ではないので、自分なりの道で進んでいくことができます。
――働き方は多様であると。
福池先生:大学卒業後にいったん企業に就職してから、日本語教師の道を選びなおすこともできるし、日本語教師として少し働いてから大学院に入る人も多いです。
日本語教師として経験を積んだあとで他業種に転職する人、別の仕事をしながらボランティアとして日本語教育に関わる人もいます。
――教室で教える以外にも日本語教育に関わることはできるのですね。
福池先生:そうですね。これから日本も外国人材の受け入れが進み 、その家族なども含めて、外国につながる人々がどんどん増えていくと言われています。日本語教師にならなくても、会社の同僚や、近所に住んでいる人、自分の子どもの友だちが日本語を母語としない人だったというケースは当たり前になる時代になるのではないでしょうか。
そういう中で、頼まれたらちょっと日本語を教えたり、自分の日本語を少し調整して相手にわかりやすく話したりすることができたらとてもいいと思うんです。日本語教育を勉強する意味は、そういうところにもあるかなと思います。
一方で、福池先生のお話にあったように、日本語教育のニーズは外国人留学生に限らず、在留外国人やその子弟などにも及び、今後その需要は増加すると予想される。
国際日本学科では、基本的な日本語学や日本語教授法のほか、在留外国人の子どもたちの教育に対応した「渡日外国人児童教育」など幅広い科目を配置している。
さいごに
最後に、福池先生に着任が予定されている高校生の皆さんへのメッセージをいただいた。
――先生は日本語教育がご専門ですが、指導をされるうえで意識されることは?
福池先生:日本語教育に関わりたい人には、自分のことばや考え方を相手に押し付けないで、学習者の考えや多様性を尊重する態度を持ってもらいたいと思っています。
日本語学習の環境や目標もいろいろで、どんな日本語をどのぐらいのレベルで身につけたいかというのは人それぞれに違いますし。
――めざすゴールは人それぞれということですね。
そうですね。日本人の側も、母語話者とは少し違う日本語に対する寛大な態度や、わかりやすい日本語を使おうとする努力が必要になりそうです。職業としての日本語教師にならないとしても、これからの時代ではますます大切な感覚だと思います。
――最後に、高校生のみなさんにメッセージをお願いします。
大学の4年間が、みなさんにとって、よりよく生きるための助けになったり、さまざまな背景を持つ人々と助け合っていくための方法を考えたりする時間になればいいなと思っています。
【国際日本学科・特設サイト】