死に様を選ぶことは生き様を選ぶこと
こんばんは、KGです。
昨日の投稿で少し書いた【堀越啓仁さんと萬田緑平さんのお話会 「死生観」】について、感じたことをつらつらと書きたいと思います。
まず少しご紹介として堀越啓仁さんは元衆議院議員で僧侶という少し変わった経歴の持ち主。子どもの権利を主張されていたり、野良猫を何匹も拾って保護するくらい猫好きでアニマルウェルフェアの活動もされています。
萬田緑平さんは「生き抜き屋」
看取り屋とは異なり、少しでも長生きするよりも本人がしたいことを最後の瞬間まで自由にやらせてあげること。遺族に対しても辛さよりも清々しいお別れの機会を作られている方です。
※途中離席していたので違っていたらすみません。
お二人の話の共通点は「ジブンらしく生きること」
僕は食育やダイエットなどを通じて健康的な生活を送ることに価値を置いて活動をしています。
食べるものや体型に関してはこうあるべきという定義をなるべくしないようにしています。それは人それぞれの価値観によって決められるべきだからです。
しかし不健康でいることを見逃すことはあってはならないというような正義感にも似た感覚を持っていました。
不健康を許容しているのは知識不足や頑固者といった人々。
どうしたらその人たちと信頼関係を築き、健康であることに価値を持って行動してもらえるか。
それが僕の課題だと思っていました。
だって、健康的な生活を送れることって幸せなことじゃないですか。カラダが動かないのに介護を受けながら生き長らえる生活は辛いと想像ができます。
だからこそ何歳からでも健康を求めることは幸せに通ずると信じていました。
しかし今回死生観のお話を聞いて、新しい視点を得ることができました。
ここからお話の内容に移ります。
実はこの地球には生きる延びることを諦める動物がいるそうです。
その動物の名はナマケモノです。
ナマケモノ。
1日のほとんどを寝て過ごし、食べる餌の量も数グラム程度の葉っぱのみ。哺乳類の中では珍しく変温動物で、できるだけエネルギーを使わないように食べず、動かずを徹底しています。
そんなナマケモノにも天敵がいます。
ワシやタカといった猛禽類やピューマなどです。
ほとんどの動物は天敵から身を守る手段を持っています。
ナマケモノの生存戦略はズバリ。
なにもしないこと。
え?なにもしない?逃げないの?戦わないの?
そんなことある?笑
正確には身を隠すためにカラダに苔を付けてカモフラージュするらしいのですが、天敵に見つかった瞬間自分の身を潔く差しだすそうです。
そんなんでいいのかと思わなくもないですが、それこそがナマケモノの死に様なのです。
ですが、
そんな死に方しか選べないのはいかに省エネで過ごすかという生き様に基づいています。
現にいままで全滅せずに種として生存しているわけですから戦略としては大成功というわけです。
そういった動物の姿を見ていると健康を求めることは必ずしも正義ではないと気づかされます。
健康を求めること。それはいったい誰のためか。
生き抜き屋の萬田さんのお話をしましょう。
萬田さんは日々終末期の患者さんを相手にしているそうです。
そういった人たちは闘病中であるのがほとんどで透析患者であったり、投薬をされていたりと、治療を止めてしまえば明日にでも命を落とす危険性がある方たち。
長く生きた自分の家に帰りたい!
そう主張する方たちが多いそうです。
しかし明日有るかも分からない命。家族や医者は少しでも長生きして欲しいと入院を勧め、頑張れ!きっといつか乗り越えられる!少しでも長生きしよう!
そう願うのは家族のエゴでしょうか。
長く連れ添ったパートナーに少しでも長生きして欲しいと祈るのは誰のためでしょうか。それは患者さんではなく遺される人たちのわがままかもしれません。(ぼくにはまだそんな場面が訪れたことがないので、想像することしかできません。)
しかし
入院を続け闘病をすること。
懐かしの家に帰ること。
それを決めるのは他の誰でもなく患者本人であるべき。そう萬田さんはおっしゃいます。
ある家族の最期の瞬間を映像で見せてもらいました。
その家族は患者である夫とパートナーの妻。
残される奥さんはできるだけ長生きして欲しいとずっと夫に入院してもらうことを望んでいたそうです。ですが夫の要望で入院を辞め帰宅。
それでも踏ん切りがつかない妻。長生きして欲しい。
在宅ケアのスタッフの助けもあり、久しぶりの入浴。患者さんはとても気持ちいいと喜んで、い〜い湯だな!と思わずザ・ドリフターズの歌に喉を震わす。
健康だった時に妻にすら見せなかった姿を見せてくれた。久しぶりにお風呂に入れたことが本当に嬉しかったそうです。当時は何時間もお湯に浸かっているぐらい大好きなお風呂。
その姿を見て妻から笑みが溢れ、涙がこぼれ。
覚悟が決まった。
苦しみながら長生きするよりも、ジブンらしく生きて楽しくお別れしよう。
また別の家族では呼吸器を付けていながらも大好きだった煙草を一本。発泡酒を一杯。
だんだん表情も見えなくなっていたのに笑顔が輝く。
最初は否定的だった遺族もそんな姿を見て自ら動画を回して楽しむ姿。
日本では美徳でしょうか、生前言えなかったことをお墓に向かってありがとう。
それもひとつの形かもしれません。
でもぼくは生きてるうちに感謝を伝えたい。笑って逝きたい。
もし明日死ぬ運命だと知らされたら、それでもいいと思えるでしょうか。
ぼくはそうは思えません。まだまだやりたいこと、やり残したことがあります。
明日死ぬ。そう言われたら
じゃあ残された時間思いっきり楽しもう!
そう思えるように今日を生きれたらと思います。
不健康でもジブンらしく死ぬ。
それも誰かの人生。
でも世の中には、ジブンらしく生きたい
そう思っているにも関わらず、誰かによって縛られている人たちがいます。
学校給食。
それは楽しい時間ですが、子どもたちは献立を選べません。そこにコオロギが入っていたとしても。
コオロギを食料とすることは否定しませんが、それよりもやることがあるでしょう。
いまだに続くパーテーションを挟んだ黙食。
これは誰のためでしょうか。この前見たニュースでは岸田首相が異次元の少子化対策を掲げていながら居酒屋を楽しくハシゴしていたと言います。(なんじゃそりゃ)
ジブンらしく生きること。
それは権利が与えられてはじめて成立すること。
選択肢のない子どもたちにジブンらしく生きろと主張することは酷なことです。
不健康であることを選べる人もいれば、健康であることを選べない人もいる。
今のぼくにできることは健康でジブンらしくありたい。そう願う人たちに手を差し伸べてあげることなんだと思います。
声を上げられない子どもたちに声を上げていいんだよと背中を見せるのは大人であるぼくらの役目です。
声を上げても社会は変わらないかも知れない。
それでも発信し続けることをやめないことがいまのぼくにできること。
堀越啓仁さん、萬田緑平さん
紹介してくれた高橋和也さんこの場を借りて、ありがとうございます。
過去一長い投稿になりましたね。
でもこんな長さも良きですね。
また明日
バイバイ👋
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