出会わなければよかった出会いなんてない。
今なら、まだ間に合う。今を逃せば、二度とない。それでも私は、動けない。そのあとに確実に訪れる痛みへの恐怖が、私の足をすくませる。
その痛みごと受け入れて、ただいっときの幸福を永遠にいつくしんで生きてゆく強さが、自分にあったら……
そのサンドイッチの店にひそかに思いをよせるようになって、もうどれぐらいになるだろう。出会いはたしか、インスタのフィード。いわゆる「断面萌え」というヤツだった。
やわらかそうな色白のパンに、ふんわりと、しかしそれでいてたしかなフィット感をもってはさまれた、チキン、サーモン、タマゴ、ツナといったボリューム満点の具材。そして、目にも美しい色鮮やかな野菜たち。一流レストラン出身のシェフが、腕によりをかけて作っているという。うまくないわけがない。
値段も少々プレミアムだが、休日のランチにたまにいただくぐらいなら罰は当たらないだろう。もちろん、私が真に恐れているのは罰などではなく口座残高の減り具合だが、それも、たまにいただくぐらいなら問題なかろう。
買いにいこう。
そのうち。
来週。
次の休みに。
梅雨が明けたら。
もうちょっと涼しくなったら。
「そのうち」が訪れないまま、ただ時間だけが過ぎていく。
そしてある朝。
それは天啓のような……何かだったわけではなく、起きた瞬間からなんかすべてがめんどくさいし料理したくないしどーしよっかなーとベッドでゴロゴロしていたときに、ふと思いついた。
「今日だ」。
寝間着がわりのヨレヨレTシャツを勢いよく脱ぎ捨て、私はひとり、高らかに宣言した。「今日こそ私は、あの断面萌えサンドイッチを買いにゆく!!」、と!
しかし、そこでふと思い出す。
数週間前に、私はとある失敗をしでかしていた。
朝から無性にカレーが食べたくて、片道30分かけてとあるカレーの店までテイクアウトしに出かけたら、まんまと定休日だったのだ。
あの日の自分と、同じ轍を踏むわけにはいかない。でも大丈夫。”That which doesn’t kill me makes me stronger“だ。死なないかぎり、失敗をしてケガをしたところで、その傷がおのれを強くしてくれる。あの日カレーを食べられなかった自分のおかげで、今日の私は、「出かける前にお店のインスタで定休日をチェックする」という、ワンランク上の行動を取ることができるのだ。
お店のアカウントを直接開き、目に飛び込んできた最新の投稿には、こんな文字がおどっていた。
「明日からいよいよ新メニュー販売開始! なお、以下の商品は本日で販売終了となりますのでご注意ください」
私は天を仰いだ。ずっと思いをよせていた「スイートチリソース・エビカツサンド」は、「本日で販売終了」だった。
お店のアカウントの投稿は、なおもたたみかける。「今日が最後のチャンスです! お見逃しなく!」
何を言っているのだ。「今日が最後のチャンス」ということは、今日会ったら最後、その後は二度と会えないということだ。
今日初めて会った瞬間、好きになってしまったらどうすればいい?
そんなもの、誰がわざわざ会いにいくものか。
その日私は、ひそかに思いをよせていたそのサンドイッチの店へ行かなかった。代わりに先日定休日だったカレーの店へ行き、先日買えなかったカレーをテイクアウトして帰ってきた。
サンドイッチ? そんなものは、始めからなかった。私はカレーが食べたかったのだ。あーカレーめっちゃおいしー、しあわせ―。
私は、すこぶる平和な休日を過ごした。
翌日。
平和な休日のおかげですっかりリフレッシュしたはずの私の心には、なぜか朝からどんよりと黒い霧が立ちこめていた。
あれでよかったのだろうか。
まだ間に合った。
しかし私は、みずから道を閉ざした。
その先に痛みがあろうと、不安で胸が張り裂けようと、今を薄めたくなんてない、深く刻みたい、光と影のようにまっすぐな情熱のままに、あのサンドイッチの店へと駆けていたら。私は今、「スイートチリソース・エビカツサンドの味を知っている福市恵子」でいられたのだ。それは、「スイートチリソース・エビカツサンドの味を知らない福市恵子」とは、まるで違った人間だったはずだ。彼女はそのたった一日を最後に、スイートチリソース・エビカツサンドと会うことは二度とない。それでも彼女は、「出会わなければよかった」などと思っただろうか。そのたった一日の記憶を胸に、「知らなかった自分」とはまるで違う人間として、まるで違った生を生きていけたのではないか。
しかし私は、痛みを恐れた。痛みを受ける覚悟がなかったがために、別の道を選択してしまった。結果、私が「スイートチリソース・エビカツサンドの味を知っている福市恵子」になる道は、永遠に閉ざされたのだ。
すべてはもう、過ぎたこと。いまさら引き返すことはできない。過去は過去として折り合いをつけ、前へ進んでゆくしかない。
出会わなかったスイートチリソース・エビカツサンドのことを思考から排除するべく、私はいつにも増して連日仕事に没頭した。
翌週、私は別件で、たまたまそのサンドイッチの店の前を通りかかった。
ショーケースにならぶサンドイッチたちは、もう新メニューに入れ替わっていることだろう。それでも、今日こうして通りかかったことも、何かの縁かもしれない。
私は店の前で足をとめ、半歩だけ、ショーケースに近づいた。
ん?
あれ???
あるじゃん! スイートチリソース・エビカツサンド!!!!
お店側の事情はよくわからないが、販売終了だったはずのそれは、なにごともなかったかのようにそこに並んでいた。私は弾かれたように駆け寄った。
店員さん「いらっしゃいませー!」
私「……あ、えっと。すみません」
店員さん「はい! お決まりですか?」
私「……あ、はい、えっと……」
店員さん「……(笑顔)」
私「……」
店員さん「……」
私「……ツナサンドください」
暑すぎて、エビカツサンドな気分じゃありませんでした。
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