論理的であることは読み手によって変わる(#009)
はじめに
Xの新書紹介でちらっと見かけ、タイトルに惹かれて購入した。
新書を買うのは数年ぶりな気がする。頭脳労働をする仕事をやっており日々「論理的である」「論理的でない」に向き合っている身としてはどうしても気になってしまうタイトルだった。
ここ20冊くらい読んだ本では一番実生活に好影響がある本だった。
主に若手のビジネスマンには刺さる内容な気がする。
特にこの本を楽しめそうな人
本書の内容はそこまで世間一般で知られていない内容だったので、論理的思考に造詣が深い人でなければ読んで楽しめる印象です。
特に日々、論理的か否かを議論しているビジネスマンは知っておくと良い話そうです。
この本を特に楽しめる人は以下。
ビジネス上の「論理的」な文章や資料が恣意的な情報を含みすぎていると違和感を感じる
論理は聞き手の気分で変わると感じる
自分は学生時代修士まで研究室に所属していたのだが、研究時代も多くの査読済み論文が「恣意性」含みすぎじゃない?と感じており、その感覚は社会人になりビジネスの場に身を投じてからも同じであった。
半ばそんなものなのかと感じながら5年以上が過ぎたが、この本によってその違和感はアメリカ圏に端を発したパラグラフライティングに則った論理構造や論理の組み立て方に起因し、様々考え方から考えを吟味するタイプの論理的な考えとは異なるタイプの論理構造だとこの本で分かった。結果、論理的思考をかなり相対化できた。
そして特によく仕事でお前の話はわからないと言われることがあった。つまり「論理的」でないということだが、自身は聞き手の感覚や気分でだいぶ変わると感じていたがそれに対してもだいぶ序盤で解説があり、印象的であった。
本書の感想
私の知識と見聞が狭いせいかもしれないが、序盤から明確に「論理的」であることの説明がある。
つまり、私の序盤の違和感である論理は聞き手の気分で変わると感じるはその通りだったということである。言い換えると、仕事で論理的でないと言われていた私の文章や資料は「読み手にとって必要な要素が日長な順に並んでいない」ということであった。
これは人によってバックグラウンドや日々変わる読み手や聞き手の状況によって論理的であるかが変わるわけだ、という感覚だった。
序盤のこの時点でこの本を読んだ価値が私にとっては十分であったが、より印象的な部分がある。
ビジネスにおいては、アメリカに起源を発する5パラグラフの結論を簡潔に述べる論理構造が取られる。この論理構造に沿って書くと、主題に関係ない情報は削ぎ落とされ、さらに結論を先に書くスタイルは読み手の時間節約に繋がり、効率的な利益追求を目的とするビジネスと相性が良くなる。したがって、私の職場でも基本的にお作法などは正確ではないが、社内資料などはこの論理構造で記載されることが多い。
なるほど、時間の節約のためだったのかと納得する反面、以下の記述によって、恣意性や十分に議論が尽くされないのではないか?という懸念に対しての答えになるような記述がなされる。
つまり、書き手が周囲に納得させたい結論に沿った内容のみを選び取り簡潔に記述する。という構造で、物事が単純化されたり、結論を細くする内容だが恣意性が感じられたり、多角的な視点からの議論がなされないことがあるということである。
そのために、恣意性が高い情報を選び取ってFactとして取り扱っていることがあり、違和感があったといえる。明らかなまったく見当違いな情報を論理構造に入れるのはナンセンスであるが、一定効率性を重視して恣意性があったり多角的な観点からの情報吟味がトレードオフになることがあると理解できた。
本書は他にもフランス、イラン、日本の文化や社会的側面から何を重視する論理構造がよくみられるかが書かれており、自身のよく使う論理構造や論理展開と比較し、相対化できる非常に優れた内容になっている。
もし論理的思考というワードに引っかかるのであれば、ぜひ一読をおすすめします。
読んでいただきありがとうございました!
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