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「つかむ」という動詞は「つかまれる」感覚をともなう

工業デザイナーの深沢直人さん。デザインという行為に対して、「自分がそれをつくったのではなく、そうあるべき姿を再現したにすぎない」と言う。仏像を彫る仏師の世界も同じ。「仏さんを刻み込むのではなく、木の中にいる仏さんの木くずをはらってお迎えにいく」のである。わたしが、わたしが、という気負い。これがある限り仏さんには出会えないのかもしれない。「つかむ」という動詞。本質をつかむ、要領をつかむ、相手の気持ちをつかむ。とんでもなくご利益に満ちた働きをする動詞だ。ただし、気負いは禁物。作家の古川日出男さんに言わせると、インスピレーションは「つかむ」ものではなく、向こうから「つかまれる」ものだそうだ。「つかまれる」感覚のエピソードは多くのクリエーターの声からも聞こえてくる。勝手にペンが進んだ、ボールが止まって見えた、運よく出会えたなど、達人ならではの体感覚とその言語化。「つかまれる」ようにつかむ。ちょっと難しいかな。

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