出口を探してがんばる。

わたしにしてはしばらく忙しく、困っていた。
何がって、モノを買いすぎるのだ。
理由は分かっている。さみしいのに金があるからだ。
好きな人に二度もふられてしまった。しかも今度は結婚相手が見つかったという理由で。
遺産で暮らすニートだから倹約しなくてはならないのに、治りかけていた浪費癖がぶり返してしまった。
わたしにとって買うことにはふたつの意味がある。ひとつは買い物に出かけてわずかでも誰かと会話することで人とのつながりの飢えを満たすこと。もうひとつはさみしさを満たすための投資だ。

わたしが買うモノといえば、昔から決まっている。
ぬいぐるみ、マンガ、服、本。
ぬいぐるみは愛してくれる人の代わり。マンガは愛されない自分から逃れるため。服と本は外見や中身を完璧に近づけて愛されるため。
最近はぬいぐるみとマンガ、あるいは小説からも遠ざかっているので、現実逃避には多少折り合いがついたのかもしれない。
どうしてこんなにさみしいのかと言えば、アダルトチルドレンだからだ。

貧しい家庭の三人目(末っ子)として育った母は、子供のころ父親にさんざんいらない子と言われて育った記憶があるそうで、そんな母に娘としての存在だけを愛されたわたしは自分を疑うための教育を丹念に受けた。
学校での成績を落とす、友達とけんかする、マンガを描いたり読んだりすることに夢中になるなど母の気に食わないことをやるたび、もう許さない、あんたはおかしいと罵られた。
そのくせ存在としてはどうしても必要だから、けがをさせたり外で遊ばせることは厳しくチェックする。外面が半端でなくいい母をおおっぴらに責めることもできず、そういった葛藤から内面はすさみ、すさんだ心をうまく伝えることもできなかったから学校ではいじめられた。父はすべて見て見ぬふりだった。
愛する人から求める愛をもらえず、愛しているのに伝わらず、しまいには愛される自信も愛せる自信も失った。
自然に湧き上がる感情と分離し、自分を信じられなくなった。愛されないさみしさとも分離したから、さみしさはより募り、物欲は暴走し、人に対しても暴走し、さらにさみしくなった。

一応、転機は何度かあった。
最初は十代のとき。病院で相性のいい臨床心理士にカウンセリングを受けることになった。母より少し若い彼女からは、自分の感情を肯定して表現すること、頭の中のボキャブラリーを引き出しとして会話に活用することを学んだ。
最近で言えば去年。二冊の本と出会った。一冊は「「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書) /泉谷 閑示」。もう一冊は「ずっとやりたかったことを、やりなさい。/ジュリア キャメロン」。
それぞれ書評を書いたが、どちらにも共通するのは自分を肯定するということだ。言い換えれば、自分とつながるということ。
そう、さみしさの出口はつながること。でも、何も他人とばかりつながることもないのだ。
先の二冊を読むより前に「愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)/岡田 尊司」を読んだが、この中では中原中也の人生が取り上げられている。
さみしさのあまり手当たり次第人とのつながりを求め、友人に恋人を奪われても反抗せず、夢半ばで人生を終えた中也。
中也の詩はきちんと読んだことはないのだけど、これだけ時代を超えて愛されているところを見ると、彼のありあまるさみしさにもきちんと意味はあったのだと思う。

さみしさは決して悪者ではない。
さみしいからこそ人はがんばれる。それは誰かとつながるためかもしれないし、さみしさを振り切るためかもしれない。あるいは両方。
わたしは肩こりがひどい。たびたび体に力を入れる癖があることを人に指摘される。
あるとき、どうしてこんなに力が入るのかとgoogle先生に尋ねたら、「がんばりすぎるからだ」という答えが返ってきた。そのサイトでは「がんばりすぎるのは、がんばらなければならないからで、がんばらなければならないのは力がないからです。まずは自分に力がないことを認めましょう」と書かれていたけど、わたしはさみしさの解消にもひとつの鍵があると思っている。

もしわたしと同じように肩こりや物欲で悩んでいる人がいたら、ぜひ自分とつながってほしい。まずはがんばりすぎていること、そしてさみしすぎること。
手段として、いちばんいいのはカウンセラーや信頼できる身内に洗いざらい言葉にして話すことだが、日記にも似たような効能がある。表現こそが自分とのつながりを深める唯一の手段だからだ。
わたしは最初うまくいかなかったが、「ずっとやりたかったことを、やりなさい。/ジュリア キャメロン」を読んで、考えずに書くことを身に着けることでかなり効能を引き出せるようになった。
ようは自分に自信がなさすぎて自分にさえ心を閉ざしていたので、かなり気取った文体で日記を書いていた。だからいつまで経っても感情を表現しきれず、代謝の滞った感情は自分への憎しみに変わり、そのため他の表現活動を自分で妨害するようになった。つまり考えすぎて行動できず、やけ食いやら無目的なネトサやらして、わざと体調を崩したり寝不足になったりしていた。
もし優柔不断とか石橋を叩きすぎて叩き割るような自分に悩んでいる人がいたら、やはり日記を書いてほしい。
具体的なやり方は上記の本のモーニングページのやり方にならうとスムーズに行きやすい。でも感情を表現してきちんと代謝させるだけなら、何も文章にしなくたって、イラストでも四コママンガでもなんでもいいと思う。必要なのはありのままの自分をさらけ出しても否定されない存在、アンネにとってのキティだから。
自分に心を開き、自分とつながることでいろんなことが好転していく。こればかりは自分で体験しないと理解できない。

あともうひとつ、昔から買いすぎるモノがあった。
CDだ。いまだに店舗でCDを買うのが大好きだ。
店員とのつながり気分や特典や現実逃避目当てもあるけど、ヴォーカルソングはいい。
歌えば自分とつながれるから。

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