そりゃあ、無理だ。
「あー、無理ですねー」
脱オタにはげむヒキニートの心は無残に砕け散った。
初めて行く美容院という名のオタクたちの鬼門で、数年前のわたしがこうオーダーしたからだ。
「ふ、ふわふわだけど、まとまる感じで…」
哀れな喪女を前述のせりふでばっさり斬り捨てたあと、担当の美容師はていねいに説明してくれた。
ふわふわというのは、髪の量を減らして全体を軽くすること。
まとまるというのは、髪の量を残して全体を重くすること。
ふたつは相反する要素なので、両立することはない。
いま考えると、もっとていねいにカウンセリングしてもらえれば、じゃあ毛先だけふわふわにして上のほうは量を残しておきましょうみたいな展開もあったと思うのだけど、とにかくコミュ障ニートを黙らせるにはじゅうぶんな説得だった。
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とある、こじらせ男子の話。仮名をヒロさんとする。
ヒロさんは重度の嫌われたくない病だ。
同僚に気になる女性がいたが、自分に自信がないので手を出せずにいた。
向こうはポジティブなもので、遊びに誘ってくれたり告白さえしてくれたのだが、すべて断った。
そうこうするうち、彼女が職場を辞めた。
フラストレーションや後悔が蓄積されるなか、二度目の告白があった。しかし断った。
嫌われるより好かれないほうがましだと思ったから。
ね。
分かるよね。
ここまで読んで、だいたいの女性はこう思うはず。
ふざけんなてめえ何様だその態度こそ嫌われて当然だろ、と。
でもね、彼は傷つきたくないんだな。
付き合ってますます好きになってから嫌われて傷つくより、相手を優しく遠ざけて体裁だけつくろっといたほうがましだと思ってるんだな。
少なくとも、彼女ひとりに嫌われても、そのほうが家族や友人どうしのあいだでは格好がつくからね。
そのくせヒロさんはネットストーカーだ。
毎日のように彼女が参加するSNSをくまなくチェックしては、一喜一憂する癖がやめられない。
彼女のことは間違いなく好きだが、変わり者の彼女と付き合ってその他大勢に嫌われるよりはましだと思っている。
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わたしがうつから回復する過程で学んだことだが、うつの人々はものごとの優先順位にフォーカスする能力が鈍っている、あるいは、幼いころからそういう能力が弱い場合が多い。
うつの症状としてよく語られる「判断能力が鈍り、ものごとをなかなか決められない」というのは、そういうわけだ。
事実、ヒロさんはうつの傾向があるアダルトチルドレンだ。
こういう状態に陥る仕組みは単純で、子供時代から周囲に従順さばかり求められて育つとこうなる。他人の忠告ぶった言葉を指令としてとらえる癖があったり、人生の価値基準をすべて他人に依存してまかなっているために、自分にとって何が大事でそうでないか、ともすると自分がいま何を感じているかさえ分からなくなる。
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ヒロさんの最大の誤解は、「好き」「嫌い」「無関心」の関係を正しく理解していないことだ。
「好き」と「嫌い」は、同じ極に属している。つまり、コインの表と裏のような関係だ。
反対の極には、「無関心」がある。
図にすると、下のようになる。
つまり、好かれなければ嫌われることもないし、嫌われなければ好かれることもないし、ついでに言えば両者は共存するものだ。
さらに言えば関心と無関心さえ、ひとりの人間の中では共存する。
でも、まずは相手の心を「関心」に傾けなければ、好意は勝ち取りえない。
わたしは接客の現場で嫌われない努力をするようさんざん上司に言われたが、その不毛さにいつも辟易していた。人には必ず短所がある。芝居はいつかばれる。
ならば、のびのびと長所を見せつけて好かれる努力をしたほうが建設的だろうと、いまも思う。
嫌われない努力なんて、心に化粧をするようなものだ。
女性なら知っているだろう、厚化粧ほどよく崩れること。
嫌われまいと力めば力むほど、別のどこかでボロが出る。
わたしの場合はわきの汗だが、ヒロさんは手足の汗に悩んでいた。そして、心が疲れていろんな人やモノに依存していた。
迷ったら、まず好かれる努力をしよう。そして、相手がどのくらいの努力に値する相手なのかもよく考えたほうがいい。
ずっと嫌われないということは、ずっと好かれないということでもあるのだから。
だから、ねえ、ヒロさん。
わたしがキムチ食べるたびにネトウヨ記事をブログに載せるのやめようよ。