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帰りたい
私は今、自分の部屋にいる。
でもずっと幼少期のころから、帰りたい。
ここはうちじゃないという感情がどこかある。
自分は、解離性障害を発症したこともあり、自分が主人格であるのかどうか時々疑わしく思うことがある。
本当に自分は、この体の持ち主なのだろうか。
もし、本当に私が持ち主なら、この帰りたいという感情はなんなのだろうか。
ずっと疑問に思ってきた。
時々、家族の前でふと漏らした言葉の中に
帰りたいという単語があるとき、
「ここがあなたのおうちでしょ」
と言われることがある。
Can I ask you?
ぼくのおうちはどこ?
安全地帯
私が大学生のころに4年間住んだアパートにいたとき、
自分の実家に帰りたいという感情はなかったようにおもう。
そこは、わたしだけが存在する空間だったから。
だれにも邪魔されない。
私の意思で、食事をして、お風呂に入る。
私の好きにできる空間。
私の安全が保障される空間。
好きな時間に寝て、起きる。
自分の物しか存在しない場所
でも、自分の好きを表に出せなかった4年間。
好きに蓋をして、ひたすら勉学に励んだ4年間。
それでもまだ、まともな精神状態で過ごすことのできた4年間。
帰宅願望は、この場が安心できる空間ではないから。
認知症のひとが、入院した時には、夕暮れ症候群が時々ある。
私は、認知症ではないけどずっとそうなんだとおもう。
安心できない。
帰りたい。
迷惑をかけられないから、自宅に帰りますね。って。
こんなに自分のものであふれかえった自分の部屋ですら
安心できる空間でないのか。
工夫はした。
カーテンを新調した。
かびていたから。
テレビも買った。とても反対されたけど。
ハリーポッターのグッズも沢山飾っている。
ローブもまるで、寮にいるみたいに。
好きなものであふれていると思う。
自分なりの秩序が保たれた部屋だと思う。
なのになぜ。
帰りたいのか。
いったいどこに帰りたいというのか。
Where is my home??
頭の中で、たくさんの言語が飛び交っていて、ぐるぐるとする。
たぶんこの感覚は一生付きまとうものなのだと思うが、
早く実家をでたいということなのかもしれない。
実家をでれば何かが、かわるのかもしれない。
でもそれまでは、部屋が私の家ではなく、
私自身が私の家、すなわち住処である必要があると私は考える。
もし、この感情が、私の身体と意思の疎通ができていないことが問題とするのならば、
私の身体は私の物であるという自覚が必要なのかもしれない。
安心できる自分に
信頼できる自分に
戻る必要があるのかもしれない。
いま、ふと腑に落ちた。
おかえり私。
おかえり、僕たち。
この体は、あなたたちの物だよ。
そして私の物だ。
この身体が、私の家だ。