本を読むということ
今日となりの雑談の本がやっと届いた。
楽しみにしていた本。
すこ~しだけ、読んだけども、もう楽しい。
本の世界の楽しさは、私が小学生のころから始まった。
ハリーポッターや、偉人の本。
それを読んでいるときにだけ私の脳内に広がる世界。
ひと時だけ、現実を忘れることを許される時間。
その時の私にとって本を読むということは、
世界を広げるという表現よりも、その世界に飛び立つ時間。
自分の中から抜け出せる時間。
すごく心地がいいよね。
他の人はどうなんだろう。
他のひとがどうだろうと、自分がどう感じるかが一番大切だよね。
今、読んでいる本は、
現実とかけ離れた世界観の物語から、
自己啓発の本、恋愛や、その人の人生についての本。
古本屋に行くのは、好きだけど、読んでいた人の感情が載っかている状態で読むのが苦手。
刷りたての本のにおいが好き。
自分は肯定も否定もされない。
ただ、その世界に存在するだけ。
一度、本を読むことをやめた時期があった。
意図とはしないけど、そうせざるを得なかった時期が。
そのときの私は、とても余裕がなかった。
本を読む時間を作るということは、余裕があるかないかに私は直結してしまう。
その世界を楽しむ余裕がないということ。
苦しかった。
そして、うつ病を発症してからは、文字を読むと目の前がぐらぐらして、文字が、まっすぐに見えなくて、読めなくなった。
文字が文字として、脳みそに反応されなくなった。
本を読むということは、私にとって、脳が正常かどうかを判断する一つの方法である。
私はこれからの人生を、本を読む余裕を残した状態で、
過ごしていくことを望んでいる。
でもそれは、急ぎじゃない。
行き急がずに。
ゆっくりやっていこう。
ゆっくりで大丈夫だよ。