カツカレーと自分の弱さと。
港近くのその食堂は、古き良き昭和の名残の風貌で、お昼になると漁業関係者やタクシーの運転手たちで賑わっているという。
私はランチに映えを求めていないし
とにかくお腹を満たして欲しい。
これは絶対行くしかないと、海に向かって歩き出した。
紫陽花が咲き始めた初夏の昼下がり。
少し離れた所からでも目立つ、軒先の黄色いテントに黄色い看板。
開け放したドアと窓から店内が見える。
作業着やスーツ姿の中高年で満員の店内は、8人座ればいっぱいのカウンターひとつのみで、私が座れる席はないようだ。
店内の4、5人程の客が一斉に振り返る。明らかに私は場違いで浮いていた。
今さっき私を見た4、5人の客が今度は一斉に立ち上がったその時、
「たいおたいおたいおーーーーーー」
と怒声が響き渡った。
声に圧倒されてたじろぐと中から女性が駆け寄ってきて少しお待ち下さいね。と言った。
どうやら私が怒られているわけではないらしい。
「たいおたいおたいおーする!」
再び異様な怒声が響くと、一人の女性は席を立ったお客のお会計にと駆け寄り、もう一人の女性は空いてるお皿を重ねてこちらにどうぞ。と私に声をかける。
「たいおーたいおー早くたいおーする!」
どうやら『たいおー=対応』らしい。
店の主人らしい背中の曲がった男性は「遅い!早く動け!早く対応!」と言いながら中華鍋を振り、店主の妻と思わしき女性が「お客さんの前でやめて。」とご飯をよそう。
店内には張り詰めた緊張感が漂い、それをギリギリで保つか否かは全て私の言動にかかっているかの様に思われた。
私はすぐさまカウンターの一番端に座るとメニューを見ずに「カツカレー下さい。」と注文し、セルフサービスの水を入れた。大丈夫。私は何も崩していない。
注文を終えた私はようやく一息つき、水を飲みながら店内を見まわした。
音が消されたTVから流れる朝ドラの再放送に本日のメニューが書いたホワイトボード。
『レトロ』『エモい』きいろとオレンジの花柄のグラス。
外からは気付かなかったが一番奥のカウンターの女性を見つけた。隣の大柄なサラリーマンの連れなのか一人で来たのか。
どちらにせよ、その女性に勝手に親近感を抱き、さっきまでのアウェイな感覚が和らいでいたところ、女性が腰を浮かし、あちらの席に移動したいと手振りで伝えた。
外国人観光客のようだ。
その瞬間、
「NOOOOOOO!!!!」
「動くなーーーーー!!!」
と、店主が鍋を振る手を止めカウンターに乗り出した。そして何が起こっているのか理解できず凍りつく彼女の目の前およそ30cmで
「NOOOOOOO!!!!!ムーブ!!!座れーーーーー!!!」
と再び声を上げる。
私は完全に怯え、目で他の客に助けを求めた。
さっきまで満員だった店内は今、私を含め3人しか客はいない。
明らかに私の視線を感じている男性客は『我関せず』に徹底し、音のないTVと目の前の定食を交互に見ては食べる手を止めない。そして千円札を机に置いて何も言わず店を出た。
客は彼女と私2人になった。
その間もずっと怒鳴られ続けている彼女はおそらく店主の言葉を理解しようと、翻訳アプリを使おうとしたのか携帯を店主に向ける。
しかしその携帯を指差し「NOOO!!!」と怒鳴る店主は
「ジャパニーズ!!!ワード!!!」
と叫び、携帯翻訳を使おうとする彼女に再び「NOOO!!!」と怒鳴る。
カタコトの英語で彼女の助けに入ろうと思うのに体がすくんで動けない。
「さっさと食べてさっさと帰れ!!!」
なぜ怒鳴られているのか、何を言われているのか全くわからない彼女は身振りも交えて店主の妻に尋ねた。
妻は、ごめんなさいね。と何度も謝り、携帯を指差すと「これは要らないでしょ?」と首を振りかばんに仕舞う様に促すと「早く食べて。ごめんね。」と言った。
理解したのか、彼女は携帯をかばんに仕舞うと、小さくなって食事をした。
まるでこの店の中での自分の存在を消そうとしている様だった。
「今までで一番物分かりの悪い客だ。」
と店主は吐き捨てて、再び鍋を振った。
私のカツカレーは運ばれて「いただきます」と口にした。
不味かったならば「味も接客も最低だ」と席を立つ勇気を持てたかもしれないのに、そのカツカレーはとても美味しく辛さの中に深みがあって、この店主が作っているとはとても思えなかった。
怒鳴られている時、彼女と二回、目が合ったのに、その二回共自分から目を逸らした。
怯えとも諦めともとれるその目に、私はどう映っただろう。
彼女は音を立てずに食事を済ませると、何も言わずに店を出た。
もう私の方は見なかった。
私はカツカレーを完食し、ごちそうさまだけ伝え店を出た。
あたりまえだが彼女はもう見当たらず、もやもやした黒いものが心に残った。
私は彼女に謝りたかった。でも何に?
「対応が悪い店でごめんなさい。」
「日本で嫌な思いさせてごめんなさい。」
「何も出来ないでごめんなさい。」
私はこれから大好きなカツカレーを食べるたびに、自分の弱さを思い知りそれを噛み締めるのだろうか。
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