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関西出身。福岡在住。 イタリア人の彼氏との穏やかな生活を模索中です。 家族との思い出、…

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関西出身。福岡在住。 イタリア人の彼氏との穏やかな生活を模索中です。 家族との思い出、日々の生活など記録できたらと思っています。 ポンコツです。

最近の記事

母親のこと

先月末に母の古希を祝うため、4ヶ月ぶりに帰省した。 昔は70代=おばあちゃんの感覚だったのに、白髪も少ない背筋の伸びた母はとうてい70には見えない。 一年は365日で、自分も人も同じように一年に一歳年をとっているはずなのに、母が70と言う事実を受け入れ難いのは何故だろう。 10年前に祖母を亡くし、その2年後に後を追うように父が亡くなった。 「まだ若いのに」とみんなに言われた父の年をとうとう母が越してしまった。 もうすぐ福岡に来て2年経つ。 彼の会社が福岡だからと住み始めた

    • 私たちの夜

      「It was a good day」 間接照明に照らされて小さく息をを吐きながらつぶやく彼に「そやな。」と応える。 眠りにつく前の、今日と明日の間を彷徨っている様な淡い時間を大切にしている私たち。 長い散歩、色づき始めた紫陽花、子育て中のカラス、今日の晩ご飯、どんどん育つ我が家の観葉植物、買い物リスト、日本語の難しさ、仕事、明日の天気。 ころころと話題が変わり、どちらからともなく「おやすみ」と話を止める。 今日のできごと、今日の気持ちをふたりで話し合って、明日を迎

      • 「日本人だから」とか

        私の彼はイタリア人で、時々周りから文化の違いとか大変じゃない?と聞かれる。 私の場合それほど大変だと感じた事はないけれど、強いて言えば同棲したての頃、彼がくら寿司でマグロ10貫とサーモン10貫を買ってきた時に赤とピンクの2色しかない寿司を見て『これが外国人と暮らすということか』と深く感じた事がある。 それと夕食のスパゲティ率が高かった時に「今日はスパゲティ以外のものが食べたい」と言う私に「じゃあ今夜はラザニアにしよう♪」と笑顔で答えた時も『これがイタリア人と暮らすというこ

        • 言葉の意味を知らなかった

          私は静かに布団をめくり、足音を立てぬようにキッチンに向かい静かに朝食の準備をした。好きなはずのこの家がここ数日居心地が悪い。きっかけはほんの些細なことだった。 くだらないことから喧嘩をし、話し合おうと言う彼を拒み何も言わなかった数日前。 それ以来、静けさを保った家はもやがかかった様な空気に包まれている。 話し合いを拒んだのは自分なのに重みのある沈黙に耐え切れず、もう読み終わった本を開いて目を通す。 彼の打つキーボードの音がさらに私を追い立てている様で「少し出かける」と私

        母親のこと

          カツカレーと自分の弱さと。

          港近くのその食堂は、古き良き昭和の名残の風貌で、お昼になると漁業関係者やタクシーの運転手たちで賑わっているという。 私はランチに映えを求めていないし とにかくお腹を満たして欲しい。 これは絶対行くしかないと、海に向かって歩き出した。 紫陽花が咲き始めた初夏の昼下がり。 少し離れた所からでも目立つ、軒先の黄色いテントに黄色い看板。 開け放したドアと窓から店内が見える。 作業着やスーツ姿の中高年で満員の店内は、8人座ればいっぱいのカウンターひとつのみで、私が座れる席はな

          カツカレーと自分の弱さと。

          シミと共に

          ほうじ茶を啜りながら 美魔女と呼ばれる人たちの『美白化粧品』のCMを見て 「もっと日焼け対策すればよかったー。」 と嘆く私に 「シミはあんたが歩んできた人生の証やないか!」 と祖母はぴしゃりと言い放った。 20歳で沖縄に移住して、島の太陽を浴びて暮らしたことも、タイのパンガン島に滞在し、真っ黒になりながらヨガの資格を取ったことも。 全部自分で選んで自分で決めたことでひとつも後悔していないのに。 どうして今さら頬にできた無数のシミを見て「〜してれば」と後悔するのだ。 3

          シミと共に

          *はじめまして*自己紹介

          はじめまして。 keyと申します。 和歌山で生まれ和歌山で育ちました。 和歌山出身だというとよくぽかんとした顔をされるのですが、大阪の南にあたります。 私と話した人達からは「大阪弁をちょっと柔らかくした感じ」と言われますが、大阪人からは「めっちゃ和歌山弁やな」と言われます。 海とみかん農家の親戚や友達に囲まれ、みかん=もらう物の和歌山人はみかんを買うことに抵抗があります。 田舎育ちの私ですが今は縁あって福岡に住んでおり、お金を払ってみかんを買うようになりました。 徒

          *はじめまして*自己紹介

          父とおでんと最後の言葉

          父と交わした最後の言葉がわからない。 姉家族との同居を始め、人に料理を作る喜びを覚えた父がはりきって私に尋ねた 「お前も大根食べるか?」 だったかもしれない。 それとも 「たまご何個くらい食うんな?」 だった様な気もする。 どちらにせよ私は「うん」とか「はいはい」みたいに適当にあしらったのは確かだ。 それが父とかわす最後の言葉になるとは知らずに。 6年前の桜が見頃のある春の日に父は意識を失った。 母とは何十年と別居状態で、私たち姉妹が巣立ってからずっと祖母と二人きりだ

          父とおでんと最後の言葉

          有名な魚

          「最近あの有名な魚どうしてるんよ?」 夕食後、居間でテレビ鑑賞の最中、唐突に祖母が口を開いた。夕食後といっても食べたのは祖母と父だけで、車で3分の距離に住む私は平均年齢80超えの2人暮らしの祖母と父を気にかけ、こうして度々顔を出す。 今も私が作った夕食を「うまい」「おいしいのう」とたいらげ食後のお茶を飲んでいたところだ。 一見『家族団欒』のように聞こえるが、瞬間湯沸かし器で生真面目の父に天然の祖母と無愛想生涯反抗期の私。会話は少ない。 「最近あの有名な魚どうしてるんよ?

          有名な魚