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福岡は大都市なのに、コンビニの店員さんや、スーパーのレジの人、そこにいるお客さんも温かいな、とよく思う。 14,5年前、友達の結婚式に出席するため、シドニーに行った時のこと。 初めてのシドニーだったから、中心地の観光にも出かけた。帰りのバスを待っているとバス停の目の前にコンビニがあった。バスが来る前に水を買おうと急いでそのコンビニに入った。店員さんの元氣?(英語)って声を横目に急いで水を取ってレジに戻ったら、その店員さんが両手をカウンターについたまま微動だにせず「元氣?っ
福岡も桜がいい感じです。桜とは全然関係のない友人の話です。 「O」は25年来の友人。僕が日本語教師になるための学校に行っていた時の同級生。今では大学を掛け持ちして教鞭を執っている大人氣の先生だ。 この友人Oには思い出深いエピソードがたくさんあるんだけど、今回は本人不在の友人Oのお話。 15年ほど前、パントマイム界の先輩方が主催していたバンコク(タイ)のフェスティバルに参加した時のこと。現地の大学で日本語を習っている学生さんが、そのフェスティバルにボランティア通訳として来
先週、古くからの知人と久しぶりに飲みに行った。もやもやと考えていたことが、自分の力だけでなく、周りのみなさん、あるいは運命に導かれて形になっていくような感覚があった。ほんの小さなキッカケから始まったこの流れ、止めないように、どこに流れつくのが見極めたい。 そんなことをしょっちゅう考えていたせいか、最近、眠りが浅かった。でも、久しぶりに温泉に浸かったら、強烈な眠氣に襲われた。心地いい睡眠。あー、寝るの好きだなあ。 写真は温泉に行く途中の夕景。
ある時、パントマイムをやっている者ならではの職業病の話になった。みなさん興味津々に聞いてくれたので、分類して研究するほどではないけど、いくつかあるからメモってみた。 身振り手振りが大きい。これは言わずもがな。体を使って表現する癖がついているから、普通にしているつもりでも日常会話に伴う身振り手振りが大きくなってしまう。ついでに表情も大げさだ。ただし、2歳児が肩をすくめながらへの字口をするようなお国柄の国々では、一般の人とパントマイムをやっている人との差はあまりないかもしれない
これまで教えることをあまり考えたことがなかったのですが、あるキッカケがあって変わりました。 エジンバラフェスティバルフリンジという世界最大の芸術祭があります。これはスコットランドのエジンバラという都市で8月に1ヶ月間おこなわれていて、ざっくり言いますと4000種類のショーが 300以上の会場で行われてるんです(2019年)。で、普通に公演しても敵が4000公演あるわけですから、チケットを売るのはなかなか難しいんです。まあ、そんな中で僕ら(が〜まるちょば )はソールドアウ、、
20代中ごろ、プロとしてパントマイムをやって行こうと決め、まずは両親にその決意を伝えた。意外にも反対されなかった。が、突然2人とも10歳ぐらい老けて見えた。そりゃそうだろう、奨学金をもらっていたとは言え、東京の4大に行かせてもらった上、ロンドン留学までさせてもらったんだから、、、。手塩にかけて、お金もかけて育てたのに”安定した職”にはつかない宣言されたんだから、、、。 もちろん、両親にプロになる宣言したからといって、急に食えるようになるわけではない。バイトをいくつかかけ持ち
最近は仕事もなく、かと言って大好きな旅行もできないので、国内某所の山の中で稲作のお手伝いをしたり、畑を耕したりさせてもらっている。農作業に熱中していると、ボブ・マーリーの「Three little birds」のように、これは自然からのメッセージだ!と思うことがある。 ーーー 先月、初めて人参の種を蒔いた。種は2ミリぐらいしかない。芽が出て、人参らしい葉っぱになって、5cmぐらいになって、間引きした。ちっこい葉っぱなのに、すでに思ったよりずっと長い根になっててビックリ。ま
先日、想像力について書いた。想像力を使って、もっと相手の立場になって考えられたら、自粛警察と揶揄されるようなニュースもなくなるんじゃないかという話。まあ、自粛警察がニュースになるってことは、それだけおかしいと思っている人も多いってことだから、まだ健全なんでしょうね。 想像力以外にも、この危機から学べることがまだあると思うので、追記。 ーーー 一度、詳しく書いてみたら、かなり説教臭くなった(これまでも十分説教臭かったと思う)ので、簡潔に。ズバリ、 ダイバーシティ。 世
*おとといアップしたのと全く同じような結論の文章が、下書きフォルダに残ってた。ちょっと前に書いたのに、すっかり忘れてた、、、。また同じような内容だけど、せっかくなのでアップしようっと。下記↓ ーーーーー 自粛警察。 何かと難癖つけてる人たちがニュースにもなっているし、ツイッターでも難癖を見かける。そこまで行かずとも、自分の力でなんとかしなさい的な意見も多い。 やっぱり誰かの立場に立って考えるって難しいよなあと改めて思った。特にストレスがある今の時期は。ストレス過多の中
組織に属するのが嫌で、自分の力だけで生きてみたくて、20代前半で大道芸をやり始めた。(あちこちの公園や、路上を試し、結局、自分のホームは井の頭公園に落ち着いた。) 自分だけじゃできないことだらけなのに、大道芸を始めて勘違いが深まった。組織にも属さない、上司も部下も同僚もいない、頼れるのは自分の技のみの生活をしばらく続けると、まるで自分の力だけで生きているような錯覚におちいったのだ。 ほどなく、やっぱり自分一人で生きているわけじゃないと思い知った。社会という大きな組織の中、
桜が終わり、竹の子の季節がきた。 子供の頃、裏庭でおばあちゃんと竹の子掘りをしたのを思い出す。柔らかくておいしいから、できるだけ小さいやつを探した。僕は地上に頭を出した竹の子しか見つけられないのだが、おばあちゃんはピンポイントでまだ地下に埋もれた竹の子を、まるで透視術ができるかのように見つけた。まだ地上に出てなくても掘るとそこそこの大きさになる。 「ほらそこにも!」と、おばあちゃんが僕の足もとを指差しても、僕にはどこにあるやらさっぱりわからない。とりあえず言われた通りの場
20代後半から30代の初めは、大道芸でいただく投げ銭で生計を立てていた。僕にとってはとても身近な事だけど、人生で一度も投げ銭をしたことがない人ってかなり多いんじゃないだろうか?やってみたらわかるけど、これが意外に難しい。いくら出してもいい=自分で決めなければならないからだ。 感覚的に近いのは、街頭で募金をする時かもしれない。「みんな小銭しか入れてないから」とか、「今月はちょっと支出が多かったからなあ」とかは街頭募金でも投げ銭の時でも考える事だろう。でも募金は何かの対価にお金
今回の騒動で、自分も来月の仕事がキャンセルになった。 でも、フリーランスの仕事はもともと仕事が取れるか取れないかの日々なので、そんなにショックはない。我々の業界では「仮押さえ」と言って、とりあえず日程を開けておくが、たいてい流れてしまう予約がある。まだ来ない未来の(あれ?頭痛が痛いみたいになっちゃった。笑)できごとを所有している感覚にならない練習をしてきたとも言える。もともと所有してないんだから、失くなってもへっちゃらというわけだ。そうは言ってもなかなか難しいんだな、これが
2019年3月31日にが〜まるちょば を脱退し、4月4日にはベルリンに住み始めました。(1年間は滞在型の旅をしながら、ワークショップを受けたり、英語をブラッシュアップしたり、旧交を温めたり、のんびりと将来のことを考えたりするつもりでした。) 日本を離れるちょっと前に友人が「そんな生活おもしろそうだからnoteに日記書いたら?」とアドバイスしてくれました。それからあっという間にほぼ1年、やっと始めたnoteです。 この10ヶ月、おもしろいこと、素敵な出会い、学んだこと、失敗