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梅雨の思い出

20代中ごろ、プロとしてパントマイムをやって行こうと決め、まずは両親にその決意を伝えた。意外にも反対されなかった。が、突然2人とも10歳ぐらい老けて見えた。そりゃそうだろう、奨学金をもらっていたとは言え、東京の4大に行かせてもらった上、ロンドン留学までさせてもらったんだから、、、。手塩にかけて、お金もかけて育てたのに”安定した職”にはつかない宣言されたんだから、、、。

もちろん、両親にプロになる宣言したからといって、急に食えるようになるわけではない。バイトをいくつかかけ持ちししつつ、見よう見まねで名刺を作ったり、プロフィールを作ったり、写真をやっている友達に宣伝材料の写真を撮ってもらったり、できることから始めた。

ちょうどその頃、アジアマイムフェスティバルという今はなきフェスティバルに参加させてもらっていた。仕事終わりに、お世話になっていたパントマイム界の先輩、Kさんと温泉に浸かっていた。とりとめのない話をする中で「どうやって食って行けるようになったんですか?」と聞いてみた。Kさん曰く「かけ持ちしていたバイトを少しずつやめたんだ」と。それによって、時間はできるけどお金がない状態になるから、空いた時間に必死で作品作り・稽古・売り込みをするようになり、氣づいたら本業のパントマイムだけで生活できるようになった、のだと。

さっそく、腹をくくってこの背水の陣作戦を実行に移し、バイトを少しずつやめてみた。2年後には、先輩の言う通りパフォーマンスだけで生活が成り立つようになっていた!ギリギリの生活ではあったけど、年に1回は極貧旅行で海外に行くぐらいの蓄えさえもできていた。

1つ誤算だったのは奨学金の返済。大学を卒業した翌年に支払い方法を選んでくださいと言う通知が届いた。その時まったく手持ちのお金がなかったから、選択肢の中で1番あと伸ばしで支払える「翌年から、毎年6月に1年分をまとめて返済する」を選択した。ところが、6月になってから氣づいた。6月と言えば梅雨。当時、主な収入源が大道芸だった僕は、この6月の返済に毎年とても苦労した。「大道芸人殺すにゃ、刃物はいらぬ。3週末連続で雨が降ればいい」と、友達にもからかわれたものだ。


ケッチ



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