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記事一覧
『往復書簡 選外』(20) ラララ、オーケストラ【小説】
ほんの少しだけ昔の話。
知恵遅れのフルート吹きが、朝の散歩で大統領と知り合った。
朝もやの中から流れてくるとんちんかんな音色。心をくすぐられた大統領は、フルート吹きを自分の楽団に招き入れた。
大統領の楽団は、誰も知らない秘密の楽団。光の届かない新月の庭で、大統領は自分の為だけに演奏会を開く。フルート吹きは大喜びでオーケストラに加わると、得意顔でとんちんかんな音色をまき散らした。楽団員は何と
『往復書簡 選外』(19) モノクローム【小説】
寒い季節が好きだというと変な顔をされることが多い。あなた変わっているね、だとか、見た目より我慢強いんだね?だとか。友達は猫をじゃらすように私をからかう。
秋が深まってきた頃から、公園のベンチに座って一人で本を読む。冷たい空気と日だまりの暖かさ。文庫のページをめくる掠れた音。その指ざわり。活字を追うたびに、頭の中に、目の奥に、現れる様々な世界。人々。匂い。
駅前のスターバックスで買ってきたコー
『往復書簡 選外』(18) 善郎爺と悪三爺 ~にっぽんトワイライトばなし~【小説】
昔々あるところの話。
善郎爺さん(Yoshiro the old man)は善良を絵に描いたような人間だった。心正しく温厚で、困っている人がいれば惜しみなく手を差し延べた。献身的な知恵者であり、村人の誰からも慕われていた。
一方、村には悪三爺さん(Waruzo the old man)という老人もいた。こちらは利己的かつ強欲、悪辣とは彼のための言葉で、物を盗み、嘘をつき、乱暴を振るっては
『往復書簡 選外』(17) ルール【小説】
なあ。
お前には誰にも言えずに心にしまっていることはあるかい?
引き出しに鍵を掛けて、その鍵をまた隠して、隠したことすら思い出さないように、頭の中で気を使って、目を反らし続けているようなことがさ。
俺にはあるよ。
でもそういう類いの物事ほど、忘れられないんだ。
なんでだろうな。
言いたいのはさ。
俺とあいつのことなんだよ。お前も薄々感づいているとは思うけど。
お前は無口なくせにやけ
『往復書簡 選外』(16) 憂鬱なユークリッド【小説】
懐から取り出したマッチを擦ると、ユークリッドはポストの中にそれを投げ入れた。街路に佇むポストはやがて細い煙を吐き出し、腹の中を焼かれながらも身動き一つできなかった。
ユークリッドは気分が晴れるまで、街中のポストを燃やして回る。どうしてそんなことをしてしまうのか、自分自身にも分からない。ポストに火を放る暗い喜びだけが、彼を憂鬱の苦しみから救い出してくれる。小さな頃からずっと。これは彼の心の底に刺
『往復書簡 選外』(15) 寝言【小説】
9月14日 曇り
「人がいなくなる、というのはどういうことなんだろう。家族でも親友でも恋人でもいいけど、親しい人、楽しく温かい時間を共に過ごした人と、昨日まで普通におしゃべりしていたのに、ある日突然会えなくなる。それは胸張り裂けるようなことだけど、じゃあそれが突然じゃなくて、とても緩やかだったなら?
学校に行くような歳でもなくなって、積極的に連絡も取らなくなって、たまに会って楽しいねーなんて言
『往復書簡 選外』(14) 槍雨【小説】
「傘なんか何の役にも立たないんすよ」と助手席で尾崎が言った。舗装のされてない道をずっと運転してきたせいでハンドルを握る俺の手は痺れていた。
「あの辺だけの特殊な天気らしくって。地元のおっさんに聞いたらヤリサメ? とかっつってたんすけど、いやあれ超マジでヤバかったっすよ。うん、超ヤバい。なんつうんすか、スコーレ? 南米とかの超突然降る超すげえ雨あるじゃないすか、あんな感じのもっと超ヤバいヤツす。う
『往復書簡 選外』(13) 雨宿り【小説】
いつも雨宿りしている少年がいた。その少年の目には、世界はいつも雨が降っているように見えるのだ。物心ついたときからそうだった。
天気の良い青空を見上げても、彼には暗く立ちこめる鈍色の雲とそこから糸を引く雨が見えた。道路にはいつも水たまりができていたし、ガラス窓にはいつも水滴がついていた。起きているときも、眠っているときも、少年の耳にはザアザアという雨音が止むことはなかった。カサを差さずに出かけ
『往復書簡 選外』(12) トイレットシークレット【小説】
登場人物
男A … 20代後半。カップルの一人(女Bの恋人)。おせっかい。
女B … 同じく20代後半。カップルの一人(男Aの恋人)。トイレに行きたい。
女C … 30代後半。一人で食事をしている。
男D … 50代。静かに本を読んでいる。
店員1 … 20代前半、女性。あまり気が利かない。
店員2 … 30代前半、男性。強面。
小洒落た雰囲気のカフェ。店内には4人がけのテー
『往復書簡 選外』(11) 楓太 ~にっぽんトワイライトばなし~【小説】
昔々あるところの話。
楓太(Futa)という百姓がいた。幼い頃に両親を亡くして以来、村の多くの者たちと同じく地主さまから借り受けた土地を耕して暮らしていた。
職人だった彼の両親は唯一の財産として立派な茶壺を遺していたが、どんなに暮らしが苦しくなろうとも楓太は決してそれを手放そうとはしなかった。己の財産は己で築くべきで、茶壺は家宝として受け継ぐべきだと考えていた。真面目で知恵が働き、何より
『往復書簡 選外』(10) 羆【小説】
崖の上に二人の猟師がいた。若造と老人。若造のほうは年の頃二十五を過ぎたあたり。老人はその倍以上を生きていた。眼下には集落があった。若造と家族の住む村だった。明治に開拓されたその僻村には、入植当初こそ三百を越える人間が暮らしていたが、冬を三つ越えた頃にはその数は三十にまで減った。札内岳から吹き下ろす風は激しく、雪の刃は鋭かった。そして冬の厳しさ以外にもう一つ、人々がこの土地を去ったわけがあった。
『往復書簡 選外』(9) チグリス・ユーフラテス【小説】
ひどく暑い夏だった気がするのは、どういうわけだろう。
僕の住む町の外れには、ひっそりと二本の川が流れている。
はるか上流を別々の方向から流れてきたそれは、町を流れるあいだ徐々に間隔を狭めながら平行して走り、市外に出る手前で合流し一本の河川となる。
二本の川に挟まれた土地。特に合流直前の細長い二等辺三角形の形をした一帯には、湿気にみちた深い林が広がっている。特に盛夏の頃は足下に葛が生い
『往復書簡 選外』(8) 鸚鵡【小説】
あっさり彼女が家を出て行って、僕とオウムだけが取り残された。
六畳一間のぼろアパートで、オウムは彼女のコトバをずっと繰り返しています。
「スキヨ、スキヨ、タケシクンスキヨ」
頭にきた僕はオウムをぶん殴ろうと、勢いよく立ち上がったところで、オウムは窓から飛び出していきました。
よかったよかった清々した。ゴミでも食ってのたれ死んでしまえ。
と思ったら、夕飯時にはちゃっかり戻ってきた。
「ア
『往復書簡 選外』(7) 脳みそとみみずくん【小説】
——いやあ、最近ぜんぜん疲れが取れないんだよね。体が重いっていうより、頭が重いっていうか。熱っぽくって脳みそ全体が腫れてる?みたいな。例の伝染病にかかったんじゃないかって、本気でそう疑っているんだよ。ほら、公園で蚊に刺されてなるやつ。いや、本気というのは冗談だけどさ。
「ねえ、それってみみずが頭に入ったんじゃない?」
彼女は真顔でそう答えた。
みみず? 今みみずって言った? 何かの聞き間