『往復書簡 選外』(19) モノクローム【小説】
寒い季節が好きだというと変な顔をされることが多い。あなた変わっているね、だとか、見た目より我慢強いんだね?だとか。友達は猫をじゃらすように私をからかう。
秋が深まってきた頃から、公園のベンチに座って一人で本を読む。冷たい空気と日だまりの暖かさ。文庫のページをめくる掠れた音。その指ざわり。活字を追うたびに、頭の中に、目の奥に、現れる様々な世界。人々。匂い。
駅前のスターバックスで買ってきたコーヒーから立ち上っていた湯気がいつの間にか消えている。カップはとろんとした猫の眠気のような、ぬるい温度でまどろんでいる。私は時間と自分を忘れて本の世界にのめり込む。私が私でない何者かになる喜び。充足する瞬間。物語の囁きは甘く、知識の海はどこまでも光の届く紺碧の海のようだ。深く深く潜るほど、景色は静かで美しい。私の皮膚。言葉の海流。見慣れた物質と捉えられないものの界面。それが曖昧になる。文字を追う、繰り返す眼球運動のリズム。加速するメトロノームのように早くなっていくのに気がつく。文字を追う。
文字を追う。文字を追う。文字を追う。文字を追う。
森を跳ねる鹿と共に駆けるように。心の躍動に身を任せながら。
朝食のパンを思わせる、四角く、ほんのりと焼けたような紙面。黒いインクが形作る魔術の紋。私は止め処なく、見入っていく。一文字一文字が瞳の表面に曲げられて投写され、二つの水晶体を透過して私に届く。俯いている私ののど元を、カシミアのマフラーがくすぐる。いけない。意識を集中し、文字を見つめる。もっと深く、もっと大きく。引き延ばされる。どんどん引き延ばされる。見えるはずのないインクの粒子まで現れ始める。まだ引き延ばされる。まだまだ引き延ばされる。私の視界は、拡大された文字の先端で埋め尽くされる。もう少し行こう。もう少し。文字と紙面のその先まで。そうすれば。
目眩に似た感覚が突き抜ける。
音が止み、時が止まる。外の景色が静止しているのが分かる。意識の集中が生み出す、私ひとりを載せた世界。見てはいけない秘め事を盗み見るように、そっと顔をあげる。秋の公園は穏やかで幸せな一瞬のまま、立ち止まっている。犬も、親子も、落ち葉も、ブランコも。太陽の光までが、静止しているのが分かる。
指先がめくるページが無くなるまで、私はずっと時の止まった世界の中で、本を読み耽る。
文 / 岡本諭
表紙 / 仲井希代子(ケシュ ハモニウム × ケシュ#203)
*『往復書簡 選外』とは… 仲井陽と岡本諭、二人の作者が2014年から1年間に渡ってweb上で交互に短編小説をアップしあう企画『往復書簡』から、様々な理由で書籍化されない「選外作品」ばかりを集めたスピンオフ企画です。
書籍化された『往復書簡 傑作選』は、学芸大学にある本屋「SUNNY BOY BOOKS」さんと中野ブロードウェイ3Fにあるタコシェさんでも取り扱って頂いております。是非お立ち寄りください!
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