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a pice of cake

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ショート・ショート的ななにか。
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2014年5月の記事一覧

或る本

或る本

 道路を挟んだ向かいは小さな貸し本屋だった。

 本を手に取ろうにも靴を脱いで、上がり口にふたつと、家人も同居する六畳間に本棚がみっつ。本が主か目の前の老婦が主か、よくわからぬ店だ。一日十円、握り締めすぎて金くさい子どもの手のひらから銅貨を受け取ると、老婦は丸いビスケットの空き缶にジョリンと音を確かめるように落とす。本は少年漫画から鼠色の表紙の本まで。綴じ紐が崩れているのか蜘蛛の巣なのか、家の天井

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ほたる、来い(シ・ラ・ラ・シ)

ほたる、来い(シ・ラ・ラ・シ)

 空に幾すじもの飛行機雲がある日、巨大な五線譜のようでその音の在りかを探していた。まだ五線譜が読めない頃。
 たとえば父であったら風をなぞるように滑らかに歌うのだろうか。
 たとえば大人になったら五線譜の中に音楽は浮かぶのだろうか。
 たとえば、と何度繰り返しても歌は音符に読み返せなかったし、音階は私にとって歌ではない。私は直立し虚空を見上げたまま歌を歌わない子だった。

 先生が歌う。
「ほ、ほ

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ワークショップ

ワークショップ

 娘が5人で一組のワークショップに参加してもいいかと訊いてきた。おおよそ半年かかる。私は初め難色を示したが、結局「後悔することのないよう頑張れ」とエールを送った……のが二日前。

  夜勤明けでぼうっとしながら朝食の支度をしていると、起きてきた娘が「この前のアレなくなったから」と言う。ウチがOKでも他の4人に"ウチの事情"をごり押しして口説いてはならぬと言っていたので、単にメンバーが揃わなかったの

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