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ほたる、来い(シ・ラ・ラ・シ)

 空に幾すじもの飛行機雲がある日、巨大な五線譜のようでその音の在りかを探していた。まだ五線譜が読めない頃。
 たとえば父であったら風をなぞるように滑らかに歌うのだろうか。
 たとえば大人になったら五線譜の中に音楽は浮かぶのだろうか。
 たとえば、と何度繰り返しても歌は音符に読み返せなかったし、音階は私にとって歌ではない。私は直立し虚空を見上げたまま歌を歌わない子だった。

 先生が歌う。
「ほ、ほ、ほーたる来い」
 眼鏡の向こうからチラリと促されて私は体をひねり歌を絞り出す。
「し、し? しらし……」
「シー、シー!」
「し、し、し」
 音階どおりに歌うテストは歌というより呪文か拷問である。他の子がスラスラと歌いあげ、心の中で見下していたはずの子までが二、三度練習すると合格をもらう。とうとう私ひとりが歌えなかった。音符の黒やひょろ長い尾がうねり狂い「し、し」と繰り返す。ほたるはシではない、八音しかない音階でどうして歌が歌えるのか。私の知ってる歌は海もあったのに、山もあったのに。
 八つの頃の五線譜は牢屋の格子だった。

 空を見ているとやっぱり五線譜に見える飛行機雲。
 もし五線譜じゃなく六本目の線を引いたら。もしも六本線の楽譜があったら、神様も間違ってそのまま音楽をつくるのかな。大人も間違って歌うといいな。
 間違った音楽はどんなだろう、綺麗かな。

「ほ、ほ、ほたる、来い」
 今なら音階でも歌えるけれど、飛行機雲を見るたび六本線の楽譜から奏でられる音楽があればいいな、美しいものであるといいなと思う。

「し、し」

 ◆  ◆  ◆
※立田さんのRTしたツイート「夕暮れの空を飛ぶ巨大な鳥」を見て書きました。
https://twitter.com/SutekiDesign4u/status/465389003445788672

 


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