さみしい牛乳
『おとうさん、ぎゅうにゅうちょーだい』
息子のこーくんは小学2年生。好きな飲み物は牛乳だ。食事の時にも、給食の要領で牛乳を飲む。麦茶や水をすすめてみても、聞く耳をもたない。
「ちょっと待ってね」
最近、我が家はいつもと違うスーパーで買い物をした。その結果、今日から冷蔵庫にはグリコの牛乳が並んでいる。
『おとうさん、ちょっとそれは……』
「こーくん、パッケージは違うけど、中身は牛乳だよ。おんなじだよ」
『いや、でも……』
かなり嫌そうにしている。パッケージを見るのも嫌なようだ。
「いっしょだよ。一回飲んでみたらいいじゃん」
『やだ』
理不尽。同じ牛乳なのに。私はちょっと、苛立ってしまった。
「なんで嫌なの?ちゃんと理由を説明して」
すると、こーくんは思わぬ言葉を口にした。
『うしさんがかわいそうで……』
急にどうした。そういえば、この前、焼肉を食べていた時にお肉になってしまった牛さんを想い、泣きながら「残しちゃダメだ」と言い、カルビを食べていた。こーくんがそういう繊細な子であることは知っている。家畜の乳牛のことを、急に考えてしまったのだろうか。
「牧場にいる牛さんのことを考えちゃったの?牛乳やめる?」
『いつものぎゅうにゅうがいい』
理論は崩れた。どうやら、家畜の乳牛のことではないらしい。どういうことなのだろうか。こーくんは、とにかくパッケージを嫌がっている。
『そのぎゅうにゅうはさみしいからやだ』
牛乳がさみしい……?どういうこと?
グリコの牛乳はさみしすぎる
『さみしいぎゅうにゅうはやだ。うしさんがかわいそう。いつものぎゅうにゅうにして!』
「さみしい牛乳」というフレーズを初めて聞いた私は狼狽えた。いったい、何を言っているんだ。
改めて「さみしい牛乳」という言葉を意識しつつ、グリコの牛乳のパッケージを眺めてみた。
大切なことに気がついた。この広大な牧場に牛一頭というのは、あまりに少なすぎる。
この牛さんは、牛舎からも遠く離れ過ぎているし、どこかうつむいているようにも見える。
絵だけに注目してみると……。なんだか不安な気持ちになってきた。
ポップな「グリコ 牛乳」という文字に助けられているから、まだこの絵は見ていられるのだ。絵だけだと、たしかにさみしい。
こーくんは、この牛さんに感情移入しているのだ。
いつもの牛乳はさみしいのか
では、いつも飲んでいる牛乳はどうなのだろうか。実際、このような牧場デザインの牛乳は定番のデザインであるはずだ。だが、パッケージの牛がさみしそうだったかなんて覚えていない。
気になったので、いつものスーパーへ車を走らせ、牛乳を買ってきた。
岡山県にある梶原乳業「酪農牛乳」である。手頃な価格でおいしい牛乳を提供してくれる、梶原乳業さんにはいつも感謝している。この牛乳にも、パッケージには牛さんと牧場が描かれていた。
「こーくん、この牛乳もさみしいんじゃない?」
『さみしくなさそうだね』
なぜか得意げなこーくん。
「え、なんで?」
『すぐ近くにともだちもいるし、おうちもあるから』
自らの牛乳パックへの雑な視線を恥じた。たしかに、こーくんの言うとおりだ。グリコと比較すると、牛舎と牛さんの距離はかなり近い。
こーくんが「ともだち」と呼ぶ、仲間の牛さんも実にやさしそうである。
牧草を頬張る仲間を、優しい眼差しで見つめている。このような絵なら、こーくんは『ほっとする』そうだ。
スーパーに行くたび牛乳を買い漁る日々
妻と買い物に行く時、勇気を出して提案する。
「……ねぇ、今日は気分を変えて、【ザ・ビッグ】に行ってみない?」
『え、なんで?』
「普段行かないから、ちょっと気になって……。」
私は「さみしい牛乳」が気になってしまって、いろんなスーパーへ出向いて、牛乳のパッケージに「牛さん」がいないかどうか、チェックするようになっていたのだ。
パッケージに「牛さん」がデザインされている牛乳を買ってきては、こーくんに「さみしい牛乳」なのか、そうではないのかを確認する。
熊本森永乳業「熊本山麓3.6牛乳」
「これは3頭並んで牧草を食べているから寂しくなさそうだね」
『たしかに〜。ここにもういっとういるしね』
得意げなこーくん。え、もう一頭?
さすが師匠……。目の付け所がシャープです。
熊本県酪農業協同組合連合会「らくのう牛乳」
『これはさみしいね……』
「確かに。影しか見えないしね」
『かなしいことかんがえてそう』
梶原乳業「酪農牛乳(D-PRICE)」
妻の実家に帰省しても、私の頭の中から「さみしい牛乳」は消えなかった。私の住む福岡ではあまりお目にかかれない、大黒天物産のプライベートブランドの梶原乳業「酪農牛乳」だ。
『これはさみしくないね。うしさん、4とういるし』
梶原乳業「大地の牛乳」
『このひろさで2とうはちょっと……』
やはり広さと頭数の関係は気にするようだ。
「でも、こーくん、見てごらん。」
私は得意げに牛乳パックを回してみせた。
『これならさみしくない!うしさんもたのしそう』
ニシラク乳業「酪農牛乳」
『このひろさで2とうはちょっと……』
「少なすぎだよね」
私も7歳児の感覚に近づいてきたようだ。わかる、わかるぞ、息子よ。
『うしさん、なかわるそう。けんかちゅうにみえる』
そう言われた途端、けんかちゅうにしか見えなくなるから不思議である。
熊本県酪農業協同組合連合会「くまもと牧場(まきば)牛乳」
くまモンが書かれたパッケージ。これはさすがに「さみしい牛乳」ではないだろう。笑顔のくまモンから、明るいムードが漂っている。
「これはくまモンがいるから、寂しくないね」
でも、こーくんはあまりそうは思っていない様子。
『うしさんはいま、きづいてるんじゃない?』
こーくんの主張を詳しく聞いてみると、牛さんから「今気づいた」と思わせるマークがついているので、くまモンは今着いたばかりなんじゃないかということだった。つまり、普段くまモンは牧場にはいないのではないかと。
そうなると、結局この牛さんはいつもひとりぼっちで、さみしい状態になってしまう。
後ろで気づく牛さんを、くまモンが気にする様子もない。
もしかしたら、この牛さんは「ついに友達が」と思っているかもしれない。しかし、このくまモンは、この感じを見るに撮影が終わればすぐに帰る。そうなると、牛さんは期待した分、余計にさみしいだろう。
このパッケージそのものは「さみしい牛乳」ではないかもしれない。しかし、その背景では広大な牧場でポツンと佇むさみしいホルスタインがいるかもしれないのだ。私にそこまでの想像力はなかった。
なんと浅はかな。己を恥じるばかりである。
イオン「阿蘇山麓酪農牛乳」
『うわっ、おとうさん!! これ、みたくない!!』
これはひどい。周囲には広大な草原が広がっているものの、そこには牛舎すらなく、この2頭の牛さんが佇むのみである。
この2頭は、この広大な草原に迷い込んだのだろうか。
2頭の牛さんは私たちをじっと見つめている。物憂げな様子で、表情は暗く見える。周囲の景色の壮大さと美しさが、皮肉にもその寂しさを助長させている。
『うしが!!うしがあああ!!あたまのなかにうしがいっぱい!!うしがああああ!!』
どうやら、こーくんはよほどこのカメラ目線の悲しい牛さんが苦手だったようで、脳内に大量に「さみしい牛さん」が現れたようである。今にも泣き出しそうだ。私はなんてものを見せてしまったのだ。やり過ぎた。このままでは牛乳がトラウマになってしまう。
南日本酪農共同「デーリィふくおか牛乳」
「こーくん!!これ見て!!」
スーパーでこのパッケージを見た時は衝撃だった。牛さんは一頭。遠くに牛舎も見える。山も見える。空も見える。そこはこれまでの「さみしい牛乳」と変わらない。しかし、肝心の牛さんが笑っている。
その牛さんの笑顔にしても、理由が不明なら不気味なだけだ。しかし、これはどうだろう。牛さんの笑顔の理由は、明らかにこの少年である。
『あんしんしてきた……。うしさん、わらってるね!』
彼らの表情からはたしかな信頼関係が読み取れる。それもそのはず。彼らの名前はデーリィ坊やとモーモーちゃん。南日本酪農協同株式会社のキャラクターなのである。
彼らの絆によって、こーくんはトラウマから救われたのである。
探し続ける「さみしい牛乳」と「あかるい牛乳」
それからというもの、初めて行くスーパーやドラッグストアに行くたびに牛乳売り場を見て「さみしい牛乳」を探し続けている。
イオン「阿蘇山麓酪農牛乳」を超える「さみしい牛乳」には、まだ出会えていない。さらに「デーリィふくおか牛乳」を超える「あかるい牛乳」にもまだ出会えていないのである。
調査には限界がある。私は福岡に住んでおり、どうしても福岡県内に流通している牛乳ばかりになってしまうのだ。
もし、あなたの周りにこの2本を超える「さみしい牛乳」や「あかるい牛乳」があれば、私に教えていただきたい。
私の調査は、まだまだ始まったばかりである。
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