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「内定が出たら御社に90%入社します」【大塚たくまのこれまで #04】

こんにちは。Webライターをやっております、大塚たくまと申します。フリーライター業が大きくなりまして、株式会社なかみという会社を経営し、Webコンテンツの制作を行なっています。

2024年8月24日、ぼくは37歳になりました。そんなタイミングで、ちょっとこれまでの道のりについて、書き綴ってみたくなりました。

これまで、ライターとして他人の物語を書くのが仕事でした。はじめて、自分の物語を書いてみます。

大学で「社会性」を取り戻す

ぼくは大濠高校から福岡大学に進学。大濠高校は福大の付属校ですが、推薦ではなく一般入学しました。受験勉強を、あんまりがんばらなかったからです。

高校時代は現代文が得意でした。まったく勉強せずに、センター試験過去問で100点を取ったり、平均で9割は超えていたと思います。それなのに、国語の点数は120点程度。勉強が必要な古典だと、ボロボロなのです。良くない点の取り方。怠惰の塊でした。経済学部を志望した理由は「なんか、何にでも役に立ちそう」という極めて安易なものでした。

地元が一緒だった友達と行動を共にし、その勧誘の流れで「放送研究部」という部活に入部しました。内容は映像番組やラジオドラマをつくって、学祭で発表するよというものです。この活動内容が、ぼくの肌には合っていました。

入部当時はほとんど飲みサーで、コミュニケーションが中心。上下関係もピリピリしたものではなく、先輩が優しくて、とてもアットホームでした。そのため、青春時代はパソコンとインターネットが友達の超絶陰キャのぼくでもコミュニケーションに耐えられました。

そして、ぼくにはこれまでのWebサイト活動で構築した、ちょっぴりの「創作意欲」があったので「番組の企画」とか「動画の編集」の活動は楽しくやれました。お酒は弱くて、飲み会では使い物になりませんでしたが、本業である「活動」で活躍できたので、ぼくは自己肯定感を保てました。

下戸なのにお酒をたくさん飲んだり。後輩のために優しく接したり、偉そうに接してみたり。サークル内で彼女を作ってみたり、別れてみたり。大学に行ってみたり、サボってみたり。mixiの日記を書いては「足あと」を確認して、ソワソワしてみたり。極めて一般的な大学生活を送ることにより、ぼくは社会性を取り戻していきました。

その結果、大学3年生の時には、部の幹事になり、40人規模の部活の代表者になりました。超陰キャだった自分からすれば、考えられないことです。ぼくは「放送研究部」によって、ちゃんと社会でコミュニケーションが取れる人間になれたのです。

その勢いでぼくは就職活動を活発に頑張りました。といっても、自分を飾ることはとっても苦手。ありのままの自分で就活に挑みました。

「御社に90%の確率で入社します!」

ぼくは勤めたい会社なんてありませんでした。そこで、就職活動では「なんかおもしろそうなところ」とか「エントリーシートの課題がおもしろそうなところ」とかに応募しました。ぼくの書類選考の通過率はなかなかのものだったと思います。そのため、かなりの数の面接をやりました。

ちなみに、ぼくは「面接」がとっても好きでした。オトナが数人、雁首を揃えて真剣な顔でぼくの話を聞いてくれる。それだけで、なんとなく自己肯定感が上がったものです。

ぼくはどこか「受かろうが落ちようがどうでもよい」と思っていたところがあり「頑張って受かろう」と思っていませんでした。ありのままの姿を見せ、自然の流れに身を任せ、流れ着いたところで働きたかったのです。しかし、現実はそう甘くありません。

東京の出版会社の面接で最終面接まで行ったことがありました。誰でも名前を知っているような出版社だったので「これはアツい」と思っていました。面接は和やかに進み、笑いも起きていたので「これはもらった」と思っていたところで、こんな質問がきました。

「もし弊社から内定を出したとしたら、何%の確率で入社しますか」


ここは志望度合いを見せつけるところ。いいアシストをありがとう面接官。ぼくは自信満々に答えます。


「90%です!」


見たか、おれの志望度合いを。60%でも、70%でもない。それよりも遥かに上、90%だ。ほとんどもう入社すると言っているのと同義。

あんなに和やかだった面接官たちの笑顔は急に消え、真剣な表情になりました。あまりの志望度の高さにびっくりしているようです。ぼくは「ちょっと高めに言いすぎたかな」「嘘っぽいと思われたかな」と不安になりました。少し後悔する僕に、面接官が口を開きます。


「残りの10%の内訳を教えてください」


テレビが好きじゃないのにテレビマンに

ありのままで受けると、やっぱりどこにも志望意欲が高くないのが、最終面接でバレてしまいます。ぼくは最終面接でたくさん落ちました。でも、どこか最終面接で落ちると「ホッ」としてしまう自分もいます。

ぼくは「放送研究部」だったこともあり、テレビの制作にも興味を持っていました。民放のテレビ局は全落ち。そこで、全国のテレビ番組の制作会社にも応募するようになりました。

テレビの世界と、ぼくの「ありのままの面接」は相性が良かったと思います。なんかこう「就活生」の型にハマらない感じが、テレビマンっぽかったんじゃないでしょうか。ぼくは、全国放送のバラエティ番組を担当するテレビ制作会社に内定を取り、そのまま就職を決めました。2010年3月、大学を卒業したぼくは、福岡から上京することになったのです。

入社すると、一週間の新入社員研修が始まりました。その中で、研修を担当したプロデューサーが「君たちがいま好きなテレビ番組は何?」という質問をしたことがありました。ぼくはその瞬間、血の気が引きました。


(やばい。おれ、いま好きなテレビ番組なんてない。)


昔はテレビっ子だったぼくは、大人になるにつれテレビが苦手になり、まったく見なくなっていました。マジで何も思いつかなかったぼくは、せめて異端な答えを出そうと「タモリのボキャブラ天国」#01参照)を挙げました。もちろん「今のテレビ番組で答えろ」と叱られ、ぼくは正直に「ありません」と答えたのです。


「きみ、テレビ制作会社に入社して、いま好きなテレビ番組がないというのは明確におかしいと思うよ。なんでこの会社に入ったの?」


入社して3日でぼくは明確な間違いに気づきました。完全な盲点です。だって、誰も面接で聞いてくれなかったんです。好きなテレビ番組なんて。まあ、そりゃそうですよね。テレビが好きだなんて、当たり前だから。その前提で、話をしてくれていたから。おかしいのはぼくなんです。

ぼくはお台場の某テレビ局のバラエティ番組の担当になりました。制作会社の上司が、番組のデスクにいるチーフプロデューサーにぼくを連れて行って、紹介してくれた時のセリフを今でも覚えています。


「煮るなり焼くなり好きにしてください」


(つづく)


今日の一曲/STAY AWAY(L'Arc〜en〜Ciel)

大学時代、初めてみんなで行ったカラオケでこれを歌ったら「上手い!」と盛り上がった、思い出の曲。自己肯定感が上がりました。ありがとう、先輩たち。


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