自省録ー基礎合奏ー

〇時間感覚
前に立って喋る時と、座って人の話を聴く時とでは、時間の流れ方が全く違う。当然ながら、前に立った時は圧倒的に体感速度が速くなるわけで、これはしばしば聴き手を「脳死」の世界へといざなうわけです。そして、これは前に立つことに慣れれば慣れるほど加速するような気がする。だーから年寄りは話が長いのか。あれは感じている時間感覚がそもそも違っちゃってる。

〇集中力
ググったら、人が深い集中力を持続させられるのは15分程度、って言っている精神科医の人がいました。僕は机にアーモンドを置いているのですが、確かに勉強初めて15分くらいで1つめのアーモンドを放り込んでいるような気がします。案外燃費が悪いもんだね。

子どもが辛うじて集中力を保てるのは45分。だから小中高の授業時間って案外理にかなっているようです。それから、連続して60分勉強するよりも、休憩を挟んで15分×3回勉強を行ったほうがテストの点数が高いという興味深い研究結果も目に留まりました。

〇愚かな美徳
これ何が言いたいかと言いますと、4・5月の基礎合奏のことを言いたい。1時間を優に超える時間を基礎合奏に充てていたわけです。休憩もせずにね。これはものすごく非合理的なことをしていたわけで、それに延々と付き合わせてきた。
なぜこうなるかというと、やめられないから。
しんどくても、1つのことを我慢強く続けることって、日本人の美徳として扱われませんか。時代遅れかもしれないけども、少なくとも自分の中にはそういうものが強く入り込んでいる。つまり、45分過ぎたら、集中力は切れるわけで、それ以上の進歩は見込めません一旦やめましょう!と踏ん切りをつけられない。つけようとも思えない。結局、人のことを考えているようで、続けるべきだ、というイデオロギーチックはものを守っているにすぎない、てなわけです。

〇戦争
田中光二っていう小説家がいまして、この人は太平洋戦争を題材にしたSFコミックなるものを書くために、ものすごく第2次世界大戦や戦時中の日本人について研究をしている人です。この方の本を読んでいて、なぜ日本は先の大戦でああいうことになったのか、ということを日本の民族性という観点からタラタラと書いているわけです。これ読んでいたら嫌になる。なぜかというと、そこで書かれている民族性、ってのが自分と見事に一致するんですよね。そりゃあ、それとこれとは別だろうと思われるかもしれませんけど、A級戦犯と思考回路が重なっているような気がする。そう感じるってことはそういうことなんでしょう。
負けるとわかっても、やめられない。敵を攻めるんなら全滅するまでやれ、ということです。ここはもう諦めて、アメリカ軍に渡して、そこの部隊は引き上げて他の戦地に送り込めば、兵士の犠牲者も物資も武器も無駄になることは無いのに、手を引けない。だから負けるとわかっていてもズルズルと戦争を長引かせた。基礎合奏と同じですよこれは。それでもって多くの兵士、民間人が犠牲になった。これほど罪なことはありません。

話を戻しましょう。

〇個人力
今までの基礎合奏、もう一つ何がまずかったか。それは個人のレベルを落としてしまった、ということ。合奏力と個人力は別物である!だから合奏力を伸ばそう!というご立派な考えに立っていた。あるいは指揮者の利益しか考えていないか。
これは、合奏力を伸ばす、ということばかり見ていて、それによって個人力が落ちる、ということを完全に見落としている。これは良くない。もともと自分には、好き放題吹き散らかすことそのものを敵視する傾向が強くあった。こんなもの合奏の弊害である、と。
しかし、個人力ってのは1人1人が時間をかけて作り、維持してきたものであって、これを軽んじることは無礼なのです。このことが完全に抜けていた。ソロのレベルが落ち、全体の個人力が落ちると、当然合奏力にも影響が出てくるはず。皆で練習することが弊害になりうるということを肝に銘じておかなければならない。

〇これからの基礎合奏
 「基礎合奏」という曲であってはいけない
ユニゾン練習 ・ハーモニー練習 ・スケール・アルペジオ ・リズム・アーティキュレーション
これらは基本。 →何十分もする必要なし 毎日、五分でもよし、一要素でもよし

これは活水女子の藤重先生の言葉である。最近セミナーでお世話になっているが、この先生は本当にすごい。
「木を見て森を語るべからず」という言葉にあるように、いろんな音楽の作り方があることを忘れてはいけないが、藤重メソッドは、大学吹奏楽の活動に、大いに参考にできる部分がありそうだ。

アタマで考えてばっかりなのも、もどかしい。

早く活動できますように。

R3.6.7

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