【自己紹介】鬱にギリギリ殺されなかった男#1
皆さん初めまして、けろと申します。
今回はまずはじめに、僕の自己紹介をさせていただきます。
24歳頃まではわりと順風満帆な人生でしたが、
このnoteで綴ろうと思ったきっかけの『うつ病』を患い、
そこからはもう人生が180度変わりました。
まずは簡単に僕のこと
1993年生まれの男
彼女と二人暮らし
血液型:O型
星座:カニ🦀
身長:176センチ
体重:72キロ
性格:完璧主義、責任感強、こだわり強め、繊細、楽しいことが大好き、社交的、エンターテイナー、全力、自分より人優先
趣味:釣り、ゲーム、車、ガジェット、旅行、料理
好きな音楽:Snow Man、Mrs.GREEN APPLE、嵐、ポルノグラフィティ
好きな映画:ハリー・ポッター、ジュラシック・ワールド、名探偵コナンのベイカーストリートの亡霊 特に洋画のアクション系
好きなタイプ:芯がある人、楽しもうとする人、裏表がない人、人に頼れる人、包容力のある人
座右の銘:「常に全力」「できるだけ後悔しない人生を」「迷ったらやる方」「圧倒的ギバー」「人は見ていないようで見ている」(一つに絞れない😂)
好きな色:白、ターコイズ
好きな食べ物:お寿司、焼き肉(タン)、味噌ラーメン、熱々の味噌汁
嫌いな食べ物:あさり、しじみ、パセリ、スパイス系の辛いもの
誕生〜幼少期
僕は、父、母、長女、次女、三女のもとに生まれました。
兄弟では男は一人で、長男末っ子としての立ち位置です。
この頃の性格的には、「楽しいことが大好き」「外で遊ぶことが大好き」
「戦隊モノが好き」「じっとしていられない」「やんちゃな男の子」「みんなに可愛がってもらう」といった感じで、かなり甘やかされながら育ちました。
子供なので当たり前ですが、本当に欲望のまま育っていきました。
小学生〜高校生
義務教育になってからの僕と言えば、、、
運動神経はいいけど、勉強は中の下。
体育は大好きで、体を動かすことや外で遊ぶことが大好きな男の子。
その代わり、じっとしている勉強は中々集中できずに、どちらかと言うと
苦手で嫌いでした。
運動神経は自慢ではないですが、かけっこはいつも1位、リレーではアンカー、鬼ごっこでは、逃げる方だと最後まで捕まらないし、鬼だと全員捕まえちゃう。小学生では「運動が得意でクラスでモテる男の子」みたいなイメージでしょうか。なんとバレンタインもチョコを2つも(少ない)貰いました。(ホワイトデーにはちゃんと全員にお返ししました😙)
中学生にあがると、世界が広がり、今までの自分の見ていた世界がいかに小さいかを思い知ることになりました。僕より足が速い人はたくさんいるし、もっと運動神経が良い人もいるし、面白い人、頭が良い人、、、
この時に広がった世界観は今でも覚えています。
部活は小学生の時からやっていた、野球部に入りました。
運動神経は良かったのですぐにレギュラーの座も勝ち取り、
一年生の時からスタメンとして試合に出ていました。ポジションはファーストとピッチャー。当時、エースの先輩がいたので僕はピッチャーとしては
二番手みたいな感じでしたが、僕自身ピッチャーという役割がすごく好きで、責任感はあったけど主人公みたいな感じで全然たいしたことないくせに「俺に任せろ」と勝手に思っていました。今思うと、小さい時から
色々とコツを掴んだり、人の言っていることをすぐに理解できて、行動に移せていたので、自意識過剰な部分は少なからずあったと思います。
3年生になってからは、「野球肘」になってしまい、これは肘の内側の軟骨が剥がれてしまう怪我みたいなもので、ボールを投げられなくなり、初めて
レギュラーから落ちることとなりました。今でも二桁の背番号をみんなの前でもらった時の悔しさは覚えています。この時、めちゃくちゃ悔しくて、お母さんに当たってしまったこともありますし、野球を辞めようとも思いました。でも、辞める勇気も無く、頑張って治療して、ピッチャーはできないけど、サードのレギュラーで復活することができました。(内心、肘に負担がかかるようなポジションのサードなの!?)とびっくりしましたが、最後の大会にもスタメンで出ることができました。
高校生では、地元を離れ、少し離れた高校に行くことにしました。
自転車で一時間半くらい。
科目がたくさんあって、なんとなく楽しそう!そう感じたから仲の良い友達と一緒に通いました。
部活は野球はさすがに諦めて、二番目にできそうなバスケ部に入りました。
中学で世界が広がったように、高校でも世界が広がりました。
めちゃくちゃイケメンな人、めちゃくちゃ可愛い人、めちゃくちゃ面白い人など、高校生らしい観点から刺激を受けていました。
同じクラスの気になる子にメールアドレスを聞いて、
「今日はメールが来たぞ!」「今日は来ないな、、」などと友達と一喜一憂していたことが良い思い出です😂
いい感じだよな俺ら、と思っていた女の子がいたので、部活後に教室に呼び出して、面と向かって告白をして見事、お付き合いに至ったことを思い出すと、今でもドキドキします笑
ちなみに当時は髪型命だったので、毎朝お風呂に入り、頭を洗ってアイロンをしてワックスでセットしてから学校に行ってました。ツンツンヘアーでした😂
なんだかんだ、大人に近づいた高校生活だったな〜と思います。
社会人〜
高校卒業後は、早く働いてお金を稼ぎたかったので、就職という進路を選択しました。自分の選択していた学科に関連した企業に就職しました。
ここからは初めての試みがたくさんあり、社会としてはもちろん、初めての一人暮らし、慣れない車の運転だったり、社会人としての「責任感の大きさ」みたいなものを痛感しながら生活していました。
1つ目に入社した会社では、寮での生活で、僕以外に3名の方と一緒に生活していました。寮が会社の中に入ってて、ご飯はみんなで当番制で作り合い、洗濯機の使用や、お風呂に入るにも順番で回しながら生活していました。これがまぁ〜しんどい笑
仕事でストレス溜まるのに、その仕事が終わっても家に帰る感覚がなく、常に誰か見られながら生活する感覚で、毎日めちゃくちゃ嫌な気分になりながら過ごしていました。
そこから4年ほど経ったある日、立ち仕事でもあったので腰を痛めてしまい、「椎間板ヘルニア」になってしまいました。
このままずっとこの仕事を続けるのは、体的にも、心身的にも駄目だなと思い、新卒カードを切った会社ではあったけど、思い切って退職しました。
それからハローワークに通い、自分の長所を活かせる仕事で、自分にもできそうな仕事ということで、「現場監督」の会社に入社しました。
この会社が僕を人間的に大きく成長させてくれたと共に、「心身をボロボロにしてしまう」地獄の始まりのようなものでした。
現場監督時代(うつ発症のきっかけ)
22歳の時から5年間、僕は土木現場の現場監督の仕事に従事しました。
今まで踏み込んだことのない世界で、右も左もわからず、毎日のように理不尽に怒られていました👀
現場監督とは、建設現場において、元請けと職人さんの間の立ち位置の中間管理職のような職業です。主に僕は基礎工事の監督をしていたので、商業施設とかビルとか大きい建物を建築するときに、順番的には一番最初に工事を担当する役割でした。
まずは半年ほど、本社のある新潟で勉強をして(住まいも新潟に引っ越しして)それから、僕の希望である長野営業所に配属となりました。
本社の課長がそれはそれは理不尽ですぐに怒鳴るような人でよく怒られました。現場でも、何をどう動いたらいいかよくわからず最初の頃は職人さんによく怒られていたのを思い出します。
基本は上司や先輩の現場のサブ的な感じで仕事をしていましたが、一年経った頃に、一人立ちすることになりました。
現場での流れや元請けとの折衝、職人さんへの指示の仕方、現場でのうまい立ち回りなど、昔から人の姿を見て自分のものにするのはうまいと自負していたので、みるみるうちに吸収していったと思います。
そしてなにより、一生懸命全力で仕事に向き合っていれば、自ずとみんな見ていてくれて、ついてきてくれるんだな、と感じました。
ひとり立ちしてからは、尊敬する営業の先輩のお陰もあって、仕事的にも人間的にもどんどん成長していったと思います。
建設現場にはトラブルは付き物ですし、予想しないことも多々起こります。
そのトラブルの芽を摘むことにも尽力し、現場が上手く回るように全力を尽くしました。
また、朝は現場に誰よりも早く行き、全ての段取りを再確認したり、書ける書類はあらかじめ書いたり、道具を準備したりと、現場のため、みんなのために全力で仕事に取り組んでいたと思います。
2年も経つと、顔見知りの元請けや、職人さんが増えて
徐々に「けろさんと一緒の現場が良い」「けろさんがいれば安心だね」など僕のことを褒めてくれたり、一緒に仕事がしたいと言ってくれる方が増えていきました。これが僕からすると物凄く嬉しくて、今まで一生懸命やってきたことは無駄ではない、誰も見ていない時も誤魔化さず、素直で誠実で天狗にならないようにやってきた証かなと、自分の成長を大きく感じることができました。
この仕事は現場ごとで場所が違うので、県外の仕事や出張を伴う距離での仕事が多く、お家に帰れない時期もたくさんありました。一ヶ月の中で家に帰れるのは4日だけ、とかよくありました。それ以外は基本ホテル泊まりです。
加えて、徐々に大変な現場を任され、更には後輩の指導をしたりして、何事も全力で取り組んでしまうが故に、完全に「疲労>休息」の方程式が出来上がり、休日も次の現場のことで不安になり、心から休めることがほとんどありませんでした。
しかも、貴重な休日であるからと、どこかに出掛けなければすぐに月曜日が来てしまう、、、という焦燥感に襲われ、無理矢理にでも旅行に行ったり、遠出をしていました。これも今思うとあまりよくなかったなと思うことです。
そんな生活を数年続けているうちに、以下の異変に気づきました。
・常にソワソワ、ドキドキしていて落ち着かない
・楽しいと思っていたことが楽しくない
・マイナスの感情しかない
・ぼーっとすることが増えて、運転中に事故に遭いそうになる
・頭が全く回転せずに、思考ができない
・頭にモヤがかかったような状態になる
今まで生きてきて感じたことのない症状?に襲われました。
でも当時の僕は、きっとこれも仕事で疲れが溜まっているせいだな、と楽観的に思っていました。とある日に、なんとなくネットで僕の症状について調べてみると「それはうつ病の可能性があります」と診断結果が出たんです。
「え、俺ってうつ病?」「うつ病ってこんな症状なの?」と今までで自分も含めて周りにもそういった人がいなかったので馴染が無かったのもあり、ものすごくびっくりしたし、とても大きな焦りに変わりました。
付き合っている彼女にも、家族にも、職場の人にも誰にも相談できず、悶々と過ごしていましたが、意を決して心療内科を受診しました。
そこで問診やいくつかの心理テストみたいなものをした結果、
無事(?)に「けろさんはうつ病です」と診断されました。
ここからが地獄の始まり、ということはこの時まだ知る由もありませんでした。
自己紹介にしてはかなり長文、駄文になってしまいましたが、
タイトルの「鬱にギリギリ殺されなかった男」とあるように
ここからが本当の地獄でしたが、今こうしてブログとして
書けていること、これはあの時に人生を諦めずにいたことで今の僕が成り立っております。
病院の先生、家族、そして何よりもこんな僕の隣に寄り添ってくれていた彼女のお陰で今があります。
自分に合った治療法、休み方を確立できたこと
そして、信頼できる人がそばにいてくれたこと。これらが無ければ
命を絶っていたかもしれないくらい辛く、悲しく、虚しく、孤独感を感じる病気だなと思いました。
その辛さがわかるからこそ、同じ様に苦しんでいる人に少しでも力になりたい、少しでも有益な情報とか治療法をシェアできたらなと思い、今回ブログをスタートしてみました。
このブログでは、僕という人間の生き様や、実体験、良かったこと、嫌だったこと、そして最終的にどうやったら元気になるか、心が楽になるか、生きやすくなるかを綴っていきたいと思います。
もし、興味がありましたお時間のあるときにでも
お読みいただけたら幸いです。
何卒よろしくお願いいたします。
最後までお読みいただき本当にありがとうございます。
けろ|鬱だけど人生諦めたくない30歳