「自己実験」で「自己実現」
タイトルに深い意味はありませんが、自分の人生で得た様々な経験は、すべて「自己実現」のためのリソースではないのか?ということを、思いつくままに書いてみようと思います。
今回も、最後までお付き合いいただけると幸いです。
なお、「自己実験」とは、ちゃんと調べてはいませんが、造語だと思うので、気にせずニュアンスだけ掴んでいただければOKです(笑)。
それでは、まず最初に「自己実現」について、よく誤解されていることもありますので、確認するところから参りたいと思います。
よくある誤解とは、「自らの成長によって夢を実現させる」というような使い方です。
字面から、妙な納得感があるかもしれませんが、正しい「自己実現」とは、「ありのままの状態であること」です。
提唱者であるアブラハム・マズローによると、「自己実現=人間本来の姿」だとしています。
では、「人間本来の姿」とは、どのような姿なのでしょうか?
ーーーーーーーーーー
先入観がなくありのままに物事を捉えることができる
客観的で判断力があり、感情的にならない
超然としていて不運に悩まない
他人を助けることに幸福を感じる
他人と自分を尊重できる
勇気があり失敗を恐れない
周りの意見に流されず、自分で意思決定ができる (出典:下記サイト)
出典元の言葉をお借りするなら、「社会貢献志向」である状態だと言えます。
ですが、果たして、誰もがこのような「人間本来の姿」でいられるでしょうか?
おそらくは「NO」ですよね。
様々な要因が考えられますが、今回は、造語であろう「自己実験」というワードから話を展開させたいと思います。
ここで言う「自己実験」とは、「自らの人生において実際に仮説と検証をしたモノ」と定義しておきます。
ーーーーーーーーーー
「あの景色が見たい」
「自己実験」の例として、旅行を採り上げてみましょう。
例えば、何気なく開いた雑誌の1ページに「人生で一度は見たい絶景」のアンケートがあったとします。
順位はさておき、現地に訪れた方のコメントが、あなたの心に留まったとします。
今はインターネットがありますから、写真や動画で、その絶景を見ることも可能です。
ですが、これでは「絶景を見た」経験ではあっても、「絶景を堪能した」経験にはならないでしょう。
現地に訪れるまでの道のりや、思わぬトラブルや出会い、そこに至るまでのすべての経験があって、直接に見る絶景というのは、写真や動画とは全く違う次元ではないでしょうか?
それは、きっかけは雑誌のアンケートであっても、そこから興味を抱き、想像力を膨らませ、現実にするための計画を立て、現地に足を運ぶまでに、いくつもの仮説と検証を繰り返し、膨大な情報の渦に五感すべてを飛び込ませた結果、感じることのできる想いだと私は思うのです。
この経験と想いが、「自己」という存在を洗練し、「自己実現」の状態に自らを引き上げる養分となるのだと考えます。
ーーーーーーーーーー
「自分とは何だろう?」
読書などでも感じることは出来ますが、一人旅などの経験がある方は、フッと旅先で、このような疑問を自らに問いかけたりはしないでしょうか?
それは、非日常に身を置くことで、孤立感を感じ、「其処にいる意味」を見出すため、「認知的不協和」が生じ、自らの存在を再定義するからではないか?と私は考えています。
認知的不協和とは、人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、矛盾する認知の定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている。(Wikipediaより)
よく聞く、「自然を前にすると自分の存在が小さく感じる」というのは、「自己の存在の過小評価」が起こっているのではないでしょうか?
ともあれ、このように「新たな定義付け」という作業は、「仮説と検証」と密接に関わっています。
「自分とは何か?」を仮定義し、検証を重ねる中で、確立していく…。
これが「自己実験」による「自己実現」への過程だと思うのです。
ーーーーーーーーーー
体験を重ね、経験を積もう。
途中にも書きましたが、今はインターネットによって、あらゆる情報にアクセスすることができます。
自室のPCから、世界を巡ることが可能となったのです。
ですが、それはあくまで「視覚」や「聴覚」の情報のみであって、「体験」と呼ぶには、少し足りない面もあると思うのです。
無駄な情報を浴びても、人は磨かれないのです。
自らの心と体のすべてを投じて得る情報というのは、どんなに些末な情報であっても、そこに意味はあるのだと、個人的には感じるです。
…体験と経験の違いも掲載しておきます。
経験は、体験に比べて使われる範囲が広く、「人生経験」や「経験を生かす」というように、行為によって得た知識や技能なども指す。 体験は、「戦争体験」や「心霊体験」というように、自分が身をもって感じるところに重点があり、行為の内容よりも、印象的な事柄について用いることが多い。
ーーーーーーーーーー
私は、「体験=出来事」から学び、「経験=知識や技能」へと昇華させるというサイクルで考えています。
つまり「体験」がなければ、最終的な「智慧を持つ人」にはなれないと思っており、よって行動することが重要であるという思考が成り立っているワケです。
…これもまた、「自己実験」の賜物なのですがね( ̄▽ ̄;)(笑)。
ーーーーーーーーーー
ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。