数年後の私が、現在の私にかける言葉は何だろう?と考えてみた(*'ω'*)。
先に結論を述べてしまうと、「何も言葉をかけることはないだろう」という話です( ̄▽ ̄;)。
なぜならば、現在の私が、数年前の私にかける言葉など、在りはしないからです。
…おわり。
…
(;´・ω・)…スイマセン、終わりません(笑)。
なぜ、過去の自分に、なんの言葉もかけないのかというと、時間は遡らないからです。
とある国民的アニメのように、未来の自分の玄孫が、自分の暮らしをよくするために、ご先祖様のところに、はるばるネコ型ロボットを送り付けてくるようなことは、現実的にはあり得ないのです(笑)。
ですから、選択肢を変更するなら、過去ではなく未来の選択肢を変えるほかないと、私は思っています。
そもそも、あなたは過去と未来、変えられるなら、どちらを選びますか?
…まあ、ものすごく屁理屈を言うと、神様じゃなくても、過去も未来も変えられる、というのが答えだと、思うのですが…(・ω・)。
ーーーーーーーーーー
想像してもらえれば分かると思いますが、未来は誰でも変えられます。将来の自分というのが確定している人間はいませんよね。
一方、「過去が変えられる」ということについては、「どういうこと?」と訝る方もいると思うので、少し説明させてくださいね(*'ω'*)。
「事実」は変えられませんが、「心象」を変えることは可能です。
「心象」というのは、「心の中に描き出される姿・形」のことです。
つまり、「中学の頃、クラスメイトから虐められていた」という「過去」を紐解いてみると、実は「クラスメイトの一人と諍いがあって、自分から疎遠になっていった」という「事実」が、長い年月を経て、間違った認識に変化していた、なんて事があるわけです。
それは、現在のある出来事をきっかけに、思い出し、間違いに気づき、修正することが可能です。これを「過去を変える」としました。
…以上のことから、ヒトは過去も未来も変えることができる、と言えるのではないでしょうか?
ーーーーーーーーーー
話をタイトルにまで戻します。言葉はかけませんが、数年後の自分の「視点」で、現在の自分を眺めることは大切なのかもしれないな、と思っています。
過去の自分を言葉で戒めようとしても、時間は遡らないわけですから、「現在→過去」ではなく「未来→現在」という視点…これを「メタ認知」と呼ぶのだと思いますが、この視点は、より良い未来に進むために必要だと思います。
今、この瞬間の自分の行動が、将来の自分にどう作用するのか?
…こんなことを四六時中考えていたら、疲れてしまいますが、たまに鑑みるくらいはしておいて損はないと思います。
あー(;一_一)、今日は上手に言葉にできませんでしたが、ニュアンスを捕まえてくれると助かりますm(__)m。
ということで、今回の投稿は以上です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?