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その山、本当に登るべき山ですか?

人生を登山に例える方も多いことでしょう。

諸説ありますが、要約すると「人には登るべき山があり、いかなる困難にも立ち向かい、やがて頂に到達したとき、人は初めて自分の歩んできた道を確かめることができる」…といったところでしょうか?

中でも有名な言葉に「なぜ山に登るのか?」の問いに対し、イギリスの登山家マロリーが答えた「そこに山があるからだ」という言葉があります。

この言葉を哲学的に解釈することで、上記のような比喩的表現として、山を人生に見立てる言葉そのものが増えているのだと思います。

山=課題・人生」といった視点で捉えれば、確かに含蓄のある比喩だと思うのですが、この比喩的表現も、鵜吞みにしてしまっては、あなたの大切な時間と労力をムダにすることになりかねません。

…とは言え、ここでこのように文字にしても伝わらないと思います。

ということで、今回は人生を山に例えた場合、そこに落とし穴がないのか、一緒に考えてみようと思います。

最後までお付き合いいただけると幸いです。

男性・登山・一人・ピッケル・雪山・クライミング・曇空

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そもそも、哲学的な意味合いは後付け

今回の投稿に関して、参考とさせていただいた記事を下記に添付します。

…記事によれば、「そこに山があるからだ」とは、含みを持たせた言い回しなどではなく、実在する山を指しているだけとのこと。

私は、このことから「山があったら登るべき」は間違った捉え方ではないか?と考えるようになりました。

目の前の山を登って、結果として得るモノはあるでしょう。

ですが、それは後付けの理由であり、「山=課題・人生」とした場合の取り組み方として、リスクが潜んでいると思うようになったのです。

そのリスクとは、「目の前の山が、あなたが本当に踏破すべき山ではない場合のコストをどう回収するのか?」というモノです。

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山を登ることが目的になっていないか?

実際の山登りに数年を要することは稀かもしれません。

ですが、人生を山に例えた場合、一つの山を登りきるまでには、何年…あるいは何十年という月日を費やします。

やっとの思いで登りきった山頂では、確かな達成感や満足感が、あなたの胸に去来することでしょう。

しかし、眼前に広がる雲海から、ふと顔を上げたとき、すぐ隣にさらに高い別の山がそびえ立っていたとしたら?

山頂と思っていた場所が、まだ先がある尾根に過ぎなかったとしたら?

あなたは、それでも大きな充足感を胸に抱いていられるでしょうか?

「なぜ、この山を選び、登ったのか?」

登り始める前に遡って思案することもあるのではないでしょうか?

山は踏破した、にもかかわらず不完全燃焼に感じることがあるのだとしたら、それは、あなたが登るべき山ではなかった…という残酷な現実なのかもしれません。

男性・モノクロ・登山・そびえ立つ・山・山頂

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山と山脈

人生において、未来を予測することと同じくらい、自分の可能性を把握することは難しいものです。

自分に在ると信じたい可能性と、実際に備えている可能性には、ハッキリ言って差があります。

…これは悲観しないでもらいたいのですが、実際の可能性が、信じたい可能性よりも劣っているという意味ではありません。

あなたの可能性を十全に発揮できるためには、時間も大切な要素なのです。

人が成長するように、社会や環境も成長していきます。

今では国内で8割の世帯で所有しているスマートフォン。

30年ほど前には存在していませんでした。

40代以上の方で、スマートフォン関連事業の職で成功している人は、どうやって幼少期に存在しなかった山に、今登ることができているのでしょうか?

個人的な意見ですが、一つの山を選ぶのではなく、大きな山脈を進む中で、一つの頂を選んだのではないでしょうか?

山脈・ピレネー山脈・緑・自然・青空

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固執しない

今回の投稿で伝えたいのは「自分の進む道はこれだ」と思い込むことのリスクについて、常に考え続けることも大切ではないか?ということです。

妄信…とまでは言いませんが、人間はそうやすやすと、自分の与えられた使命には気がつきません。

ですが、思い込まなければ進むことのできない状況も存在します。

結果論的に、自分の命題をどう解釈するかは個人の自由ですが、小さな達成感で満足してしまう人生にしてしまっては、少し勿体ないのではないでしょうか?

私自身も「行動することが成長には必要」だと考えていますが、大局を見るには、考える時間も必要です。

「この山に登ろう‼」と早急に決めるのではなく、まずは進む方向を固め、道中に得た経験を頼りに山道を進み、ようやく自分が登るべき山に出会うのだと思います。

そのためには、「山」ではなく「山脈」を踏破し、最後の最後まで選択の余地を残すしたたかさも大切なのではないでしょうか?

特にこれからは「パラレルキャリア」という概念が主流となるかもしれません。

尾根伝いに、次の頂に進めるという意味でも、一つの山に決め打ちするのではなく、より大きな山脈を踏破するという考え方も持ってみてはいかがでしょうか?

その山、本当に登るべき山ですか?

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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。


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