忙しくて、ありがとう
noteには、きっと共感者がいるかもしれないと思って書いてみます。
私はヒマが苦手です。
何をしたらいいのか分からなくなるからです。
のんびりすることも必要だという考え方には賛同しますが、1時間も要らないかもしれません。
苦手…と書きましたが、ある意味ではこわいと思っているのだと思います。
それは、私にとってヒマが怠惰と同義だからだと思います。
私という人間は、ヒマがあったら、いつまでも何もしないという選択ができる人間だと、私自身が知っています。
だから、こわいのです。
ということで、今回は嫌いな人も多いであろう「忙しい」という状態について書いてみようと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
ーーーーーーーーーー
「忙しいとは、心を亡くすこと」
たまに他のnoterさんの記事で見かけるようになった言葉です。
なるほど、確かにそうだよな…と思っています。
しかし、忙しいという状態も受動的なケースと能動的なケースでは、少し違うのではないかと私は考えています。
受動的とは、職場や家庭などの周囲の環境によって、半ば強制的に忙しい状態となっているケースです。
自分が望んでもいない、もしくは、想定していない質量のタスクが降りかかった場合、当然に心が摩耗し亡くなっていくことになるでしょう。
ですが、能動的に忙しいケースはどうでしょう?
自らの使命感をもって背負うタスクは、自分を成長させてくれる糧だと感じることがあるのではないでしょうか?
つまり、忙しいという状態だからといって、必ずしも心を亡くす状態に陥るとは、個人的には考えにくいと感じています。
要するに、タスクに意義が感じられれば、能動的で有意義な時間となるのではないでしょうか?
ーーーーーーーーーー
たとえば、主婦の方の悩み事の第1位は献立作成だそうです。
朝ごはんを作りつつ、家族分のお昼用の弁当を作り、家事や仕事を進めながらも、夕方に近づくにつれ、晩御飯の献立を考える…。
これが365日続くことは、料理が苦手な私にとっては、仮に自分が行うことになったら、心を亡くす忙しさだと感じるかもしれません。
しかし、料理が好きで家族の健康を想い、おいしそうに食べている姿を眺めるのが好きな方にとってはどうでしょうか?
悩みはあるのでしょうが、料理が苦手な人とは忙しさの質が違うと思うのです。
私の現状も同じです。
他人からは極めて忙しい状態だと感じるようですが、私にとってはやるべきことで忙しいと思っているので、心を亡くす様子ではありません。
期限などの関係で「しんどいわー( ゚Д゚)」と思うこともありますが、今はまだ、忙しくさせていただいていることに感謝しています。
もっぱら仕事のタスクなのですが、私の特性を理解してタスクを投げてくれる職場だと感じています。
前職は、今よりも余暇はありましたが、心を亡くしていたのかもしれません。
心は、忙しくなくても簡単に亡くなるものですから。
ーーーーーーーーーー
私は基本的にネクラなので(笑)、時間があるとネガティブ思考に引っ張られます。
若い頃のヒマを持て余していた状態に対して、慙愧の念に堪えないのです。
ヒマは、私をダメにします。
だから、質や量のバランスさえ気をつければ、私は忙しい方がありがたいと思うのです。
仕事があって、住むところがあって、何らかのやりがいを感じることがある。
それを実感できるのは、忙しい状態があってこそだと考えます。
忙しくて、ありがとう。
ーーーーーーーーーー
最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。