「うまく言えない…」そんなときは、うまく言わなくていい。
他のnoterさんの記事を読んでいると、素敵な言い回しがあったり、感情がダイレクトに伝わってくるような表現があったり、言葉について考える多くの機会をいただいています。
そんな学びを得ているのに、一向に自分の言おうとしていることが伝えられない…というジレンマに陥るときがあります。
本当はキレイな言葉なんかじゃなくていいのに、うまく言えないからこそ、うまく言おうとしてしまう…。
私は、このような葛藤に苛まれるときがよくあります。
あなたにもありますか?
今回は、言葉について考えてみようと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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noteを始めてから考えるようになったことですが、学ぶことを「知識」と捉えるか「教養」と捉えるか…という選択肢が頭の中で増えた気がします。
今までは、学びと言えば個人の知識や能力を向上させるものとしか考えていませんでしたが、少しずつ「教養」という意識が芽生えて始めています。
【教養】
1 教え育てること。
2
㋐学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。
㋑社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識。
(デジタル大辞泉より抜粋)
注目したいのは「心の豊かさ」という部分です。
「知識」は、ときに独りよがりに走ることがあります。
知識には優劣があるように感じるのです。
一方で「教養」という概念では、「心の豊かさ」に代表されるように優劣の対象になるような文言がないように私は捉えています。
精神活動…自分の内から発せられたものが、文化となって社会生活に溶け込んでいく…。
ああ…本来の学びって、こういうものであるべきなんだな…と、改めて考えさせられます。
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「うまく言えない」というのは私やあなたの主観です。
自分の中にある知識から絞り出そうとして、きっとムリをしているのだと思うのです。
伝えたい、届けたい。
そんな想いのままに発せられた、他人を慈しむ「心の豊かさ」があるからこそ、言葉は美しいのだと思います。
上辺だけでは決して感じることのできない深みや奥行きのある言葉。
これはきっと、一朝一夕では叶わない学びなのだと思います。
日々を豊かに過ごす。
自分一人だけではなく、周りを包み込むような器を自分の心の中で育てることが、私に足りない学びなのではないかと、感じています。
相手にどう捉えられようとも、心のままに発する言葉。
それがいつしか、上手く伝えるという行為に繋がると思います。
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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