張り子のトラ
まずは語句の意味を共有したいと思います。
【張り子の虎】
虎の形をした首の動く張り子のおもちゃ。転じて、首を振る癖のある人、また、虚勢を張る人、見かけだおしの人などをあざけっていう語。
(デジタル大辞泉より)
私は人の話を聴くとき、よく首を振ります。
頷き、なのですが、おそらく他の方よりも頻度が高いと思います。
また、私は虚勢を張ります。
そうしなければ他人に認知されないと思うからです。
これらのことから、まさに私自身が「張り子のトラ」なのだと思っています。
今回は、そんな「張り子のトラ」になってしまう人の心理について書いてみようと思います。
…だって、当人だし(笑)。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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この記事を書くにあたって、一つのエピソードがあります。
というか、現在進行形なのですが…。
現在、通信制の大学にてゼミナールの講義を進めているのですが、周囲のレベルの高さに全くついていける気がしません。
意見交換しながら、成果物をブラッシュアップしていかなければならないのですが、入り込む余地が見つかりません。
あー困った(;´・ω・)。
…と、このような状況で、私は虚勢を張るしかないと考えています。
傾聴の要点とされている相手の意見に対して受容することって、実は簡単なんです。
なぜなら、自分独自の意見がなくても出来るからです。
ディベートのように議論を闘わせるには「聴く」のではなく「訊く」必要があります。
そのために必要な知識が私にはありません。
しかし、議論はしなければなりません。
張り子のトラになるためのお膳立てが、しっかりと出来上がっている感覚です。
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人が「虚勢を張る」ことの一番の原因は、自分に自信がないことです。
たまに承認欲求の話を持ち出すケースもお見受けしますが、承認欲求を満たすなら「虚勢」ではなく「虚言」のほうが有効です。
承認欲求とは、「すごーい\(◎o◎)/!」と言われたい気持ちなので、できる限り信憑性のある虚言を模索するのが妥当なのではないでしょうか?
…などという理由から、私は自身のなさから「虚勢を張る」準備をいつだってしています。
「ありのままの自分」が、どれだけ陳腐なのかを知っているからです。
「ありのままの私」を、私は誰よりも嫌悪していますから、むしろ虚勢を張っているほうが自分らしいと思うこともよくあります。
スペックの低い人間は、ありのままでいたら、ただ搾取されるだけですから、虚勢を張らざるを得ないとさえ考える時もあります。
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「張り子のトラ」になってしまう人は、自信がないだけではなく、それでも自分を好きになりたいと願っています。
「自分がなりたい自分像」があるから虚勢を張ることが出来るのかもしれません。
そのために努力だって勉強だってやります。
本当は虚勢など張ることなく、生きていたいから。
また、「張り子のトラ」は自信がつくまでの「仮の姿」だと思っています。
いつか本当のトラになれれば…という幻想に陶酔もしますが、意外と現実主義なので、日々、自己嫌悪して、また自信を失って、それでも自分を好きでいたくて…の繰り返しです。
この負のループも、さすがに自分との付き合いが長くなれば、解決案を導き出せたりもします。
「張り子のトラ」がなれるのは、トラではなく張り子をしているのが自分だと認知することです。
そして、なりたい自分を演じ続けることで、その役になりきってしまうことです。
「張り子のトラ」は自分が嫌いなので、変身願望があります。
それが努力の源泉でもあったり、なかったり…。
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…こういった文章をポジティブ思考な方は好ましく思わないかもしれません。
…というか、ネガティブ思考でも嫌かもしれませんね( ̄▽ ̄;)。
ともあれ、人間は何でもかんでも解決できると思いたい生き物ですが、解決できない問題も世の中にはたくさんあります。
だからこそ、虚勢を張ってでも乗り切ろうとするのですが、今ではすっかりマイノリティ。
私は、こうやって書くことでスッキリしますが、読んでくださる方にとっては今回の記事は不快かもしれませんね。
ごめんなさいm(__)m。
張り子のトラは、いつまでも自己肯定できない存在なのかもしれません。
それでも、それを糧に生きていく強さはあるものです。
がおー、がおー。
おわり(笑)。
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
決して病んでるわけではないのでご安心を(;・∀・)。
優秀な人に囲まれるのは本当に自己嫌悪に陥りますが、張り子のトラは負けず嫌いでもあるので、なんとか食らいついてやろうと思っています。
今回の投稿は以上です。