大事なのは「当事者意識」であって「当事者」になること自体にメリットは少ない
気づきや学びにおいて、さまざまな見解がある中、この「当事者意識」には進歩や成長のコツが詰まっているように感じます。
「当事者意識」とは、言い換えれば「他人事」ではなく「自分事」として事象を捉えることであり、当事者が複数人いる場合には、それぞれの思考や感情を推察することを指すと私は考えています。
例えば、クレーム対応について考えてみましょう。
クレームを訴えている側と、クレームに対して応じている側、双方の思考や感情を推察することで、実際に対応に迫られた際の心構えが変化します。
「クレーム=苦情」だと考えてしまうと、対応する側はメンタルを削られますし、相手を敵だと思ってしまうこともあるでしょう。
ですが、「クレーム=ユーザーからの提案」だと考えれば、感情ではなく建設的な話し合いの余地が生まれるかもしれません。
…ただし、これらは「当事者意識」が成せる業であって、実際の対応では、ただただ苦情を聴き取ることだってあります。
つまり、「当事者意識」とは「性善的仮説」をもとに考えますが、「当事者」になれば、人間の性悪な面に心が引っ張られます。
多くの場合、何らかの「当事者」になることは苦痛を伴う事象との遭遇です。
嫌な上司のくだらない小言に辟易したり、タチの悪い客に罵詈雑言を浴びたり、肉体が悲鳴を上げても仕事が終わらないというのは、「当事者」にしか分からないモノです。
「当事者」になってしまえば、問題解決や事後処理などの雑務に追われ、成長などは後回しになってしまいますが、「当事者意識」をもって想像の世界にいるうちは、事象の検証が可能なのです。
今現在、あなたがどんな立ち位置にいるのは分かりませんが、まだ「当事者」になっていないのであれば「当事者意識」を培いましょう。
すでに「当事者」になってしまっている場合は、俯瞰的な視点を忘れずに、まずは目の前の問題に立ち向かいましょう。
…できれば、しんどいケースの「当事者」にならないように「当事者意識」によるリスク回避能力を養っておくことをおススメします。
ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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