(*'▽')こんな幸せもあるのかな?
誰もが憧れるモノ、それが幸せだと思います。
考えれば面白いもので、この幸せという言葉に、明確な姿形はありません。
誰もが想い焦がれながら、誰もが違う姿を想像しているのだと思います。
人間の欲求とは、突き詰めれば、幸せが現実になることを望む心そのものなのかもしれません。
今回は、そんな「幸せのカタチ」について、今の私が思ってることを書いてみようと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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昨日、いろんな方の投稿記事を読んでいて、今回のテーマについて私なりに感じたことがあります。
それは、幸せそのものを手にするだけでなく、幸せを思い描くこと自体が幸せなのではないか?ということです。
何かに思い苦しみ、苦悩している状態では、今、その瞬間のことしか考えることができない…ということがよくあるでしょう。
今をどうにかしたい、どうにかしなければいけない…そんな想いがあるうちは、幸せではないと私は思います。
一方で、こうなったらいいなと、近い将来のことに想いを馳せること自体が、今の私には幸せなことなのではないかと感じています。
そう考えると「幸せ」とは、幸せを手にする瞬間ではなく、幸せに向かっていく道程が幸せなのではないでしょうか?
なぜなら、幸せが手に入った瞬間、「手放したくない‼」という想いから、幸せが零れ落ちてしまう恐怖を感じると思うからです。
物事というのは多くの場合、普遍的ではありませんから、人は心の底から幸せになりたいと願いながらも、幸せの状態を維持し続けることに対し恐怖を感じるのではないでしょうか。
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noteでは、さまざまな方の、さまざまな想いが垣間見えます。
つらいことも、苦しいことも、楽しいことも、うれしいことも…。
自ら投稿することで今に別れを告げ、誰かの投稿で明日を思い描く。
「明日は、どんな一日になるんだろう…?」
これって、幸せなんだろうな…って感じたんですよね、急に(*'ω'*)。
私は、過去につらかった時期があるからこそ、今は幸せだと思っています。
たとえ、仕事のために貴重な休日の時間を削って作業することになっても、数日後に気乗りしない予定が入っていても、それだけで一日が終わるわけではありません(笑)。
ちゃんと幸せを感じられる心があれば、きっと幸せな一日になるんだと思います。
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「私に、幸せを感じられる心なんてあるのかな…」
つらいことや苦しいことがあって、嫉妬や怨嗟、憤怒の念が心を支配しても、それは裏を返せば、ちゃんと幸せを感じられる心があるからなんだと思います。
本当にしんどいと、心って死んじゃうんです。
何も感じなくなって、何も考えられなくなって…。
でも今、noteというアプリで活動して、誰かの記事を読んだり、自分の投稿を綴っているのなら…。
大丈夫。
それだって、小さいかもしれないけど、幸せなんですよ(≧▽≦)‼
自己否定は簡単。
なんか…幸せになるにも、勇気って要るモノなんですよね(;´・ω・)。
あなたは、こんな幸せのカタチ、どう思いますか?
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
短めですが、今回の投稿は以上です。
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…あ、せっかくなので、意外と知られていないかもしれない「noteの機能」について。
クリエイターページの一番下に、こんな項目があります。
実はこれ、クリエイターさんに直接メールが送れます。
なかなか勇気がいるでしょうが、仲良くなったnoterさんがいたら、思い切って連絡してみるのも、面白いと思います。
ということで、今度こそ終わります( ̄▽ ̄;)。