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毒親と縁を切って4年経って思うこと



はじめに

ペット達を連れて実家を飛び出し、毒親(母)と縁を切って4年が経ちました。

今はサッパリした心境ですが、当時はたくさんの葛藤の中で人生でもベスト3には入る一大決心の出来事でした。

でも今は勇気を振り絞って大きな一歩を踏み出したおかげで、今の私がいると確信しています。

毒親と縁を切って4年が経過した今、私が感じること、後悔したこと、学んだことを書いていこうと思います。


毒親との縁を切るという決断

母と縁を切るまで

物心がついた時には両親が離婚し、母に引き取られ子ども時代を過ごしました。
心理的・肉体的な虐待を受け育ちました。
(話すと長くなるし、読んでくれている方が苦しく感じてしまうのは嫌なので今回は割愛します)

母の機嫌が悪いときにサンドバッグ代わりとなっていた私は、いつも狂った母と理不尽な現実に憎しみを抱いていました。

でもこの経験が原因で人生を狂わされるんじゃなくて、「絶対いつかこの経験を武器にしてやる」と思って生きてきました。

母によく私に対して「人生台無しになってほしい」とよく言われていたから、謎に余計にメラメラと燃えてたんだと思います。

そうこうしてるうちに、いつからか憎しみもなくなり無感情になりました。
当時は「乗り越えた!私は勝った!」と思っていましたが、これは今では危険信号だと分かります。

無感情になって何に対しても感動しなくなりました。
感動しなくなると「何のために生きてるんだろう」って思ってきて、人間的じゃない自分でいることに耐えられなくなっていきました。
その先にあったのは自殺です。
過去に3回自殺未遂をしました。

無感情になることで、辛さを軽減していたんだと思います。
常に幽体離脱して自分を後ろから見ている感覚でした。
自分に起きた出来事はすべて他人事のように感じていました。
後に「離人症」だということが心療内科で判明しました。

最初にこの感覚になったのは、母から暴力を受けている時に、無意識に「暴力を受けているのは私じゃない。私じゃない。私じゃない…..。」って暗示をかけていた頃から始まっていたと思います。

学校や友達の前など外では、明るく振舞っていたので、ある意味多重人格に近かったのかなぁとも思ってます。
当時は自分がピエロみたいで嘘の塊で嫌で嫌で仕方がなかったです。

小学5年生から高校生くらいまではずっとそんな感じでした。
今でもストレスが重なると離人症の症状が出ます。

ずっと過去と過去に影響された私の心の奥と向き合うことが全くできなかったですが、最近は少しずつですが向き合っていけてるのかなぁ?って思ってます。
(1日向き合ったら3日寝込むとかそんなレベルですが…..笑)

ここまで来るのに多くの時間と勇気が必要でした。


決断後の最初の感情

母と絶縁後は安堵感からか半年ほどは、最低限の生活(トイレやお風呂、犬の散歩など)以外は布団から出れませんでした。

でもだんだん動けるようになって今に至ります。

今思うのは、母は狂ってたんじゃなくて、自分に自信がなく、どこまでも寂しい女だったのかなと思います。
私を育てる余裕がなかったんだと思います。
誰かが母に手を差し伸べて、母も誰かを頼れる環境だったら、もしかしたら母も私も病むことはなかったかもしれないなと。

正直、日常の中でふとした瞬間に自分の中に母を感じることもあります。
(やっぱり血は繋がってるからね…..)


縁を切った直後は、自由と解放感を感じる一方で、私の決断によって取返しのつかないことになってしまったんじゃないかとか、孤独感とかに脳が支配されていました。

でも思いつきで行動したんじゃなくて、何度も何度も考えて考えて行動した自分を信じようと思えるようになりました。
何とかなるか精神です。


縁を切ってからの変化

心の健康を徐々に取り戻していく

絶縁してすぐの頃は、話せる人が誰もいなくて一人で孤独感にのまれていたけど、分かりやすいくらいに徐々に体調も心も健康的になっていったのが分かりました。

徐々に健康的になっていって、自分の存在価値を認識することができるようになりました。
これによって、ずっとやりたかったこと、挑戦したかったことを少しずつですが取り組むことができるようになりました。


今だから言えること

直感を信じろ

毒親と縁を切った今だから言えることは、「迷ったら直感を信じろ」ということです。
世間や周りにあーだこーだ言われても、結局は決断した後の責任は自分が負わなきゃいけないし、後悔しない選択を選ぶべきだと思う。
心に従えば、仮に後から後悔したとしても割とスッキリした気持ちで後悔を迎え入れられるかなぁって思う。


大切な人やモノとの繋がりを大切にする

私は父と6年ほど前に再会して今でも親交?があります。
母と絶縁直後は心がボロボロ状態で、誰とも会いたくなかったくらいでした。
でも父とだけは連絡を取り続けていました。

ずっと父と十何年会っていなかった溝を深められていって嬉しかったです。

誰も大切な人がいないって人は、モノや趣味でもいいと思うんです。
何でもいいから自分が大切で素になれる瞬間を積み重ねていくことが大切だと思います。
その積み重ねがある時大きく花開くかもしれません。


後悔してること

新しい人間関係の構築

虐待が日常的な中で生きていたので、ずっとサバイバル感覚で生きていました。
分かりやすく言うと、戦場にいる兵士の感覚です。(兵士の方にとても失礼ですが…..)

私の場合、母だけでなく祖母や親せき、周りの大人(友達の親や教師など)ビックリするくらい人としてやばい人だらけでした。
なので人を信用してたらとてもじゃないけど生きていけないって当時子どもだった私は思ったんです。

だから私は損得でしか人付き合いをできない人間になっていました。
もちろん誰にも心の内を話したことはなかったです。

損得で付き合いをしていく内に、虚像でしかない関係性に虚しさと価値を感じなくなるようになりました。

そこで損得で人と付き合うのはやめようと決めました。
自分が付き合いたいと思う人とだけ付き合おうと思いました。
中学3年生の時のことです。

ということで全員と損得で付き合っていたので、誰とも付き合いがなくなりました。

これは後悔しています。

極端すぎる。

今思えば、素になれた友達も少しですが何人かいました。
私が病み始めた頃、毎日話しかけてくれる子がいました。
一方的にアニメの話をひたすらされてたんですけど、今思えば気にかけてくれてわざわざ話しかけてくれてたのかなぁって思います。

損得で付き合っていた割と付き合いのあった子達は私が病み始めたら一切誘ったり話したりすることはなくなりました。
もちろん心配してくれるような素振りもなかったです。
私も損得で付き合っていましたが、それと同時に相手も私のことを損得でしか付き合っていなかったので、使い物にならなくなった私と関係が終わらすのは当たり前ですよね。

損得で人付き合いしたことによって痛い目を見ました。

だから極端に全員と付き合いを切るんじゃなくて、自分が素になった時に傍にいてくれていた、人間対人間としてお付き合いしてくれていた子達と関係を続けていれば良かったなって後悔してますね。

あと人付き合いが全くなくなって、人との付き合い方が分からなくなってどんどん孤独になっていきました。

私は元々1人でいることが好きな人間なので、1人でいること自体は苦じゃなかったんですけど、ふとした日常の何気ないことを共有できる人が1人もいないのは寂しいもんだなぁって思いました。

まとめ

毒親と縁を切ることは、人生を大きく変える決断だと思います。

4年が経過した今、私はその決断が自分にとってベストな選択であったと信じています。
これからの人生はピエロの仮面は脱ぎ捨て、そのままの自然体の私でいたいです。

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