生きる気力がないといわれて

「生きる気力のない子ですね。」

これは、母親が僕を生んだ時に看護師から言われた言葉だそうです。

どうやら生まれてすぐに産声を上げなかったそうで、その様子を見てのことだったのでしょう。

(その後、家についてから大大大音量で叫んでいたみたいですけど。)

このエピソードを聞くたびに上手く言い当てたなぁ。すごいなぁ。と思っております。個人的に好きなエピソードです。

今回は自分の中のどこに「生きる気力」があるのか、ないのか振り返ってみます。

「生きる気力」

先ほど僕には「生きる気力」がないような書き方をしましたが、0というわけではありません。

小学生の頃、短冊に「長生きしたい」と何度か書いていたし、今までに自殺願望を抱いたことはないです。

死んだほうが楽になれるという考えを否定する気はありませんが、今までの僕にその選択肢は、浮かびませんでした。

死んだらゲームが出来なくなりますし、アニメや動画、ゲーム配信を見れなくなりますからね。

今思うと、趣味のおかげで「生きる気力」を保っています。感謝。

もし、趣味をやっても楽しめないほどに精神をすり減らした。または、趣味を気力が湧かないのであれば、それこそ「生きる気力」が0の状態といえるかもしれません。

何とか趣味を頼りに生きているのに、なぜ「生きる気力」がないことに納得しているのか。少し考えてみます。

競争意識

思い当たることといえば・・・

競争意識の欠如でしょうか。
ありきたりかもしれませんが、若者に多いといわれるアレ。

人に勝って喜んだり、負けて悔しくなったりがあんまり少ないのかなと自分自身は思います。

中高時代に遡りますが、私は吹奏楽部に入っていました。吹奏楽部の大会というのは、地区大会→県→地方→全国と評価されれば次のステージに上がる流れになっています。
皆の演奏が終わり、どんな賞に輝けるのか、次のステージに呼ばれるのか、ドキドキの結果発表。
呼ばれた瞬間、部員同士でお互いに抱き合って黄色い歓声をあげる者もいれば、呼ばれずに帰りのバス近くで泣き続ける者もいます。

そんな中僕は、学校名が呼ばれた時には、「運が良かった」と思って、はしゃいだりしなかったし、呼ばれなかったら、「練習期間にやりたかったゲームがやっとガッツリできる!」と負けたムードを流しつつも内心ガッツポーズをしていました。

勝ちたいと思って部活なんてやってなかったし、大会シーズンもそれ以外の期間も部活の時間が楽しいからやっていただけでした。

競争でモチベはわかないけど、その過程自体が部活動を続けるモチベになるような。

目的意識

僕は、何かを成し遂げたいと思ったことや目標を掲げて行動を起こすことが少ないです。

ゲームをするときも楽しい間はずっとそれで遊ぶし、楽しくなかったら積みます。ここ最近はクリアまではやり遂げるようになりましたが・・・

RPGでレベル上げが楽しいときにはひたすら雑魚狩りをして、突然つまらなくなったらゲーム自体に飽きてしまいます。ストーリーの進行もそこでストップ。

ゲームでもこんなんなのに、仕事や普段の生活はひどいもんです。
学生のように周りに流されながら生きて僕はほぼほぼ満足です。でした。

結局のところ

ぼんやり考えた結果、競争意識と目的意識が欠けているのかなと。
一般的に「生きる気力」とは、何かを得るために成し遂げるために行動する活力のことなのでしょうか。

・・・結局、抽象的な言葉を抽象的な言葉で言い直しただけか・・・

もし、この活力があれば人生が明るくなったのでしょうか、
その人生に今の僕は憧れているのでしょうか。

内心では、「この活力がなくて何が悪いんだ」と開き直っている自分がいるのが正直なところ。

現状を受け入れられず拒絶しているのか、受け入れて現状を肯定しているのか。
考えれば考えるほど、頭の中があぁ・・・

とりあえず!!生きる気力がなくとも色んなゲームに触れていこう。
ほどほどに頑張って、ほどほどにサボって開き直って。

この記事が参加している募集